クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

悲しく歌えばだいたいきれい

世界が小さく“井の中”にいるうちは、ふるさと=わが家=ホームがいちばん素敵な場所に見えがち、思いがち。

 

ふるさと=わが家=ホームから外に出て、より素敵なものがいっぱいの他所を知り、ちょっと足りないものや大いに足りないものがわかってくると、わがホームがいちばんだと大きな声では言い難くなる。

 

本心では今でもふるさとでわが家でホームがいちばんでも、もっと素敵なホームは他にもあるというノイズにわがホームがいちばんという声はかき消されがちで控えめになりがち。足りないものがある代わりに、「他所にはないし見つからない」わがホームの良さを承知していれば尚更、わがホームがいちばんと大きな声での主張には慎重になる。

 

ふるさとは遠きにありて思うもの。そして悲しくうたうもの。

 

ふるさとを離れ、懐かしいふるさとを思って歌い上げると美しい詩が生まれる。美しい詩は言ってみればふるさとへのギフト。故郷に飾るのは錦で、美しいもの。

 

そういうピュアな気持ちから美しいものが生まれて来るけれど、見つめるものと見つめられるものの双方が、いつまでも美しいままでいられるとは限らない。

 

ピュアな気持ちで美しかった故郷を見ることはもうできなくなった。あるいは、美しかった故郷は景色も人も様変わりして、かつての面影を探すことさえ難しくなった。変わっていく、変化が是とされる時に、変化を拒んで美しいまま時を止めることは難しくなる。

 

そんなときはもう美しい歌は生まれてこず、故郷よりも賑やかな街、都会でひとりぼっちで美しく楽しかったわが家を思うと泣けてくる。

 

そういう状況だと美しい歌のひとつやふたつくらい自然に生まれそうだけど、変化を受け入れ故郷とはベクトルの違うしがらみに染まってしまうと、やっぱり美しい歌は生まれてこなくなる。

 

美しいものに囲まれ美しいものだけを眺めていた時、美しいものを切り取った美しく短いフレーズが歌になった。

 

そして、美しいものを作りたかった。美しいものにだけ囲まれ美しいものだけを眺めていたかったのに、美しいものを作るためにはそうではないものも眺めなければならなくなったとき、遠きみやこに帰りたいと、ただ美しいだけではない複雑な心境を切り取った歌が生まれてきたのかも。かもかも。

 

故郷を遠く離れたとき、故郷を恋しく思う気持ちも故郷に錦を飾りたいと思う気持ちもすんなり理解できる。だけど、「遠きみやこに帰りたい」と思う気持ちはどんなものか。

 

ずっとわからなかったけれど、美しいものをただ切り取るだけでなく、美しいものを美しいままにとどめようとしたときに起こる景色を眺めた時にはじめて理解できる心情で、変化を進んで受け入れたものには見え難いあるいは理解し難い心情なんだろうとも思った。

 

美しいものを作りたかったのに、美しいものを作っているだけでは済まなくなった。そんなときは、美しいものが自然に生まれてきた、まだ都会に出てきたばかりの頃のピュアな気持ちさえ懐かしくなるものなのかも。