従業員と原材料。この2つに困らなければ、事業は続けられる。従業員に原材料、どちらの質も高ければ、ただ長く続けるだけでなく質の高い事業が営める。
たくさんの本が並ぶ書店のなかでも、誰もが知るゆるやかにカーブしたMのマークはよく目立ち、マクドナルドについて書かれた本だとすぐわかった。
ヘビーユーザーでなくてもマクドナルド@日本といえば、買いやすい(=注文しやすい)システムと清潔な店内、礼儀正しくフレンドリーな店員さん(=クルー)のいるお店で、ちびっこやお子様連れに優しいお店というイメージがすぐ浮かぶ。
日本マクドナルド初の公式ビジネス書という触れ込みの『日本マクドナルド「挑戦と変革」の経営』という本の内容も、まさしくそんな感じ。
初代のユニフォームに見覚えはないけれど、それ以降のユニフォームには見覚えがあり、欠けたナンバーのユニフォームまで覚えている人はマクドナルド通。
50年の歴史は、それ以前の日本にはなかった文化やライフスタイルが定着してローカライズしていく過程でもあって、ローカルに特化したシステムがグローバルに見出され、グローバルのフィードバックを受けて変わっていく過程でもあった。
誰にでもできそうだけど、誰にでもできる、特に続けられることじゃない。
お店がきれいで使いやすくついでに見つけやすいのも、クルーがほどよくフレンドリーで感じよくあろうとしているのも、ハンバーガー類の値段を考えれば当たり前じゃない。
“凡”事徹底を繰り返せばレベルは上がり、“非凡”事徹底にまで達した。ということでもあるのかも。
バンズにパテをはさんだ食べ物がハンバーガーで、パテにもバンズにも凝ってリッチでグルメな方向に振れば、差別化しやすい。だからリッチでグルメなハンバーガーレストランは趣味性が高くなって非日常性が高くなる。
非日常性が高いものは日常では出番が少なく、趣味性が高くてリッチでグルメなものを安く提供し、できればチェーン展開しようとしたとき初めて、すっかり日常に溶け込んだマクドナルドの非凡さに気付くのかも。かもかも。
そして、マクドナルドの非凡さにようやく気付いた人達が大量に出現したところで満を持しての“公式”ビジネス書だとしたら、本当に抜け目なく世の中を見ている。
中食に冷凍食品も含めれば自炊以外の選択肢が増えたなか、マクドナルドの立ち位置といえば“温かい食べ物”がスマイル0円(←マクドナルドが言ってた)、きれいにお掃除された店内で食べられること。ドライブスルーという選択肢もあること。
お腹いっぱいになりたいけれど、お腹いっぱいにばかり大枚払うわけにはいかないファミリーが、安心して使えるお店はローカルに片寄りがち。
米みそ醤油ベースのローカルフードはエスニシティが強すぎて、口に合わなければアレルギーの問題もある。そういうファミリーが安心して使えるのはグローバルスタンダードなお店で、グローバルスタンダードはハイエンドだけに求められているわけでもない。
夏にはコーンご飯を炊いて、秋鮭の季節になると筋子からイクラのしょうゆ漬けを仕込んではらこ飯を作る。趣味性の高いローカルかつスローフードを作って食べて満足してる日々だから、マクドナルドの出番はあんまりない。
あんまりないだけで、普通に美味しいことはちゃんと知っているし、普通に美味しいものをお手頃価格で質の高い従業員と原材料を揃えて提供する難しさも知っている。
昨日より今日、今日より明日。ちびっこからじーちゃんばーちゃんまで、“よりよい明日”をめざしてみんな一緒にがんばれるあいだは「貧しくとも楽しいわが家」。
みんな一緒にがんばったから目標をクリアーして“よりよい明日”がやってきて貧しくなくなったけれど、「貧しくないけれど楽しくないわが家」となったとき、そのしわ寄せを受けるのは最も小さな者。
そして、貧しくないけれど楽しくないわが家に馴染めない小さき者を「豊かで楽しいわが家」が助けに来る。
という物語を読みたいと物色していたけれど、その種の読み物は過去の名作を漁るよりも、現実と現実のビジネス環境に対峙している分野で探した方が見つかりやすいんだろうとも思った。
ママから見たときにはYESでも、パパやあるいは“オヤジ”と呼ばれる方がぴったりくる関係性から見たときにはどうなんだろうと思う選択肢まで揃っているのが多様性で、どちらか一方に片寄り過ぎると、「貧しくないけれど楽しくないわが家」が生まれやすくなるんだろう。偏ってるから。
焼き立てのご飯バンズにふわふわのだし巻き卵。ソースはピリ辛な海苔の佃煮ペーストにマヨネーズ。というご飯バーガーを先日美味しく食べてきたけれど、バンズにパテという形をとっているとよく知るおにぎりであっても目新しく、きっとご飯の消費量も多かったはず。
挑戦も変化も、受け入れてくれる相手があってのものなんだと、色々なお店を見ているとつくづくそう感じる。