応能負担を現代風に言い換えると、ダイナミックプライシング。だと勝手に理解してる。
定価では買えず、売り手の気分次第で吹っ掛けられることもあれば、破格の値段で手に入ることもある。
スークにマルシェ。呼び方は様々だけど、もっとも古典的な売り買いの場所で行われる商行為をサイバー空間に持ち込むと、呼び方も相応にサイバネティック。
スーパーマーケットがすでにあるにもかかわらず、敢えてスークやマルシェで買い物するのは観光客で、観光する余裕があるとみなされているから、応能負担で吹っ掛けられる。
吹っ掛けられること度々。あるいは度を越すと、売り手の気分次第という不安定さに耐えられなくなって、いつでも同じな定額価格のサービスが素晴らしく思えるようになる。
世界中どこに行ってもだいたい同じサービスで同じような商品が出てくるものの筆頭といえば、マクドナルドにスターバックス。
観光地にマクドナルドやスターバックスが進出すると、過度な応能負担がやりにくくなって、買い手で消費者な観光客も安定するようになって、観光地として順当に成長する素地が出来上がる。
世界中どこに行っても均一なサービスと均一な商品が出てくる場は、いってみればアジールの一種で、アジール的な何かがないと、世界中から人が集まってくることもできない。
アジールがアジールとして機能している、世界中から人が集まってくる場は、駆け込み寺や緊急避難先がある・あるいは機能しているという安心感があるから、世界均一とは真逆のローカルなものにも手が伸びやすくなり、お試ししやすくなる。
エスニシティ豊かでローカルなものは、世界中から人が集まるようになると、例えば一等地をグローバル企業に明け渡すように目に見える形で主役交代が行われる。だけど主役の座から降りることで、ローカルに特化することができて余裕も生まれる。
グローバルと対抗するために背伸びする必要がなくなって、エスニシティ豊かなものからエスニシティを薄める必要もなくなると、エスニシティ豊かなだけに逆にグローバル色を増した場での存在感も増すおまけ付き。
どうやっても世界中から人が来るのは避けられない。グローバルな進化が止められないなかで、エスニシティ豊かなものが生き残るのは結局グローバルなものとうまく折り合いをつけられたものだけ。
という光景は、エスニシティ豊かな地から眺めるとかえってよく見えるような気がした。
エスニシティ豊かな旧市街は、本来観光客には敷居が高い。本来高いはずの敷居を低くしているものは旧市街におけるアジールで、アジールがアジールとして機能していると、旧市街に閉じずに新市街に閉じこもりがちな観光客も旧市街に呼び込むことができて、古いものに課せられる応能負担もその分軽くなる。