クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

アレルゲン

6月に入ると花粉予報も終了し、呼吸も楽になった。さようなら、アレルゲン。

 

心身ともにストレスを与え続けられた人は、ストレスの原因因子に対する共感を捨て、自己保身に走る。マスクや眼鏡で花粉を防ぎ、抗アレルギー剤を服用する。原因はもとから断とうと無花粉のスギの植林も進み、アレルゲンの排除に懸命。

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花粉症対策グッズで、儲かる方にいるならともかく。アレルギーが重症化するほど、アレルゲンに対して無慈悲になり、排除で一致団結するその心理こそ、なるほど極端なイデオロギーに走る下地なんだな、と納得。

 

自分達とは文化も宗教も価値観も異なる、移民流入がきっかけで右傾化するヨーロッパの国々の姿。あれはアレルギーに対する過剰反応で、アレルギーに対して強いストレスを感じる人ほど、アレルゲンの排除にも熱心で過激化すると思えば納得。

 

数が増え過ぎたストレスの原因因子には、共感も抱けない。だから背景となる紛争や国情に対する関心も低く、ただただアレルゲンの排除に一生懸命で、無花粉のスギの植樹に相当する移民制限で、もとから断とうとする。

 

花粉症対策グッズで儲かる側がいるように、移民流入がメリットになってる人には、アレルギーは起こらない。デメリットを強く感じている人ほど、アレルギーも強くなる。

 

後味の悪い思いをしそうとわかっていても、それでも見ちゃった『女は二度決断する』は、移民に対するアレルギー、人種差別テロを扱っていた。豊かな移民が爆弾テロの標的。犯人は若いネオナチカップルで、犯行をちっとも悔いてないところが、残された遺族の怒りに火を注いでいた。

 

花粉がひどい時期に、スギ花粉をわっさわさ撒き散らし中のスギ林に、わざわざ近寄ろうとする重症のスギ花粉症患者なんていない。花粉症がひどいからと、スギ林を焼き払う人もアレ。生活において、交わるところはないのになぜか標的のことをよく知っていて、わざわざアレルゲンに触れに行く人もそれと一緒。

 

ほっときゃいいのに、どうしてほっとけないんだろう。

 

と、アレルギー持ちのネオナチカップルに思ったけれど、アレルゲンの除去に一生懸命になると、同じアレルギーに悩む仲間うちでは英雄になれる構造が、彼らを過激化させる。

 

標的となった移民家族には、強いアレルギーを引き起こすようなキャラ付けがされていたけれど、あえて言えば結局はアレルギーの問題。アレルゲンには触れない・近寄らない。アレルギー持ちのくせしてアレルゲンにわざわざ近寄る人は、そもそもアレ。という認識があっても、なお越えられない問題を描いてもいたんだけどさ。

 

アレルゲンだったら人じゃないから、お掃除感覚で排除する。排除された側はそもそもアレルギー持ちでもなく、ついでに犯人たちを個人と思うからこそ、排除にも躊躇する。

 

スギばっかり植えたから、花粉症患者が多数苦しむことになったように、エンタメ、あるいはもっと自然な形で撒き散らされたヘイトが、アレルギー重症化の要因。

 

抗アレルギー剤を自主的に取り込んで、アレルギーを重症化させないよう、個人でも備えるにこしたことはない。

 

お休みなさーい。