育ちのいい良家のおぼっちゃま。おぼっちゃまだから相応に交友関係が広く、たびたび会食に招かれる機会のある紳士の心得あるいは特技として、シェフのプライドを傷つけずにコース料理を残す。というのはアリかもしれない。
会食の機会が増える、例えば年末年始のようなホリデーシーズンで、提供される料理すべてをいちいち平らげていたら、シーズンがひと段落したあとのウエストサイズが恐ろしい。
育ちのいいおぼっちゃま出身らしく、相応に大きなクローゼットととっかえひっかえのワードローブの持ち合わせ(サイズも豊富)があればともかく。ジャストサイズのよそゆきは一着きりのように大変心許ない状態だと、安易に太れない。
コース料理のなかでも、最も気合いの入った一品だけは決して食べ残さずあとはつまむだけ。という、いってみれば選球眼が磨かれるのは場数を踏んでいるからで、場数を踏んでいるのがおぼっちゃま。
そこがアウェーの場所で、二度があるかどうかもわからないような場所ならともかく。
二度三度が必ずある場所や機会で、もてなす側の気分を損ねず自身の体調とも相談しながら多数の会食をこなせるなら猛者。
例えば会食続きで膨満感が満載。あるいは二日酔い気味といった万全ではない体調でも会食の機会が用意されているのが、相応の立場や交友関係のある人で、いつでもどんな時でももてなす側の顔を立てることを忘れない。そんな振舞いを続けていると、“良家のおぼっちゃま”の立場も補強される。
その匙加減がわからないまま会食が続くシーズンを迎えると、食べ残せなくてあっという間にオーバーサイズになったりあるいは早々にドクターストップを食らったりで、タスクとしての社交をこなせないままシーズンが終わる。
何代か続いた、歴史も余裕もある良家のおぼっちゃまがその長所とメリットを生かせるのは“社交性”で、歴史や余裕に紐付いたおぼっちゃまの交友関係と交友術は、おぼっちゃまゆえの資産で財産。財産の継承に関心の深いアドバイザーでもいると、社交に引っ張り出される機会も増える。
歴史はないけど余裕だけはたっぷりある、これから名家になろうとする予備軍のおぼっちゃまに必要なものはお手本で、お手本となる名家のおぼっちゃまが来ない社交の場は社交の場として機能せず別のものになる。
名家のおぼっちゃまが体現する歴史や余裕がないと、歴史もなく余裕もないと見下されがちで侮られがち。だから、歴史も余裕もあるんだということを機会を選んでアピールするのも、名家のおぼっちゃまやその予備軍のお仕事のひとつ。
名家のおぼっちゃま予備軍が、名家のおぼっちゃまを見習うようになるのは、その歴史や余裕由来の威光を見せつけられたときで、予備軍とおぼっちゃまへの分かれ道。