クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

コストパフォーマンス

情報量の多寡は、音読するとよくわかる。

 

30分で読み終わるものは30分相当の情報量しかなく、読み終わるまでに数時間あるいは数日かかるなら、みっちりぎっしり情報が詰まっている。

 

文字数や頁数は同程度でも、読み下す・読み終わるまでにより時間を要する方には、ショートカットされた情報がふんだんに詰まっているはず。

 

ショートカットされた情報は、ちゃんと説明しようとするとより文字数を食うもので、スペースという制約があると、ショートカットのテクニックも磨かれる。テクニックが詰まっているから情報量が多く、情報摂取のコスパがいいということになる。

 

制約から生まれたテクニックは一種の圧縮だから、伸ばすことも、伸ばして切り貼りすることも可能で、再利用できる。

 

だから再利用が前提で、再利用を前提としていなかったら、この種の小技も生まれてこない。

 

情報がみっちりぎっちりで、読み下す・読み終わるまでに相当の時間を要するものは、万人向けに書かれていても万人向けではなく、相応の情報を必要とする人向けで、専門職向け。

 

例えば、分厚〜い決算資料をすみずみまで読み込んで、与えられた情報に対して読了した人なりの所見を加えるのは、アナリスト。決算資料の場合はそもそも義務だから、ギフトでも何でもないけれど。

 

義務を超えた、抱負でふんだんな情報はギフトで、ギフトだから粗末に扱うとギフトは続かず、有り難く頂戴する人や側に、ギフトが届くようになる。

 

贈り物が届くと嬉しい。喜んでくれるから、贈り甲斐がある。その関係性に義務や強制の色合いが色濃くなると朝貢関係のようになり、朝貢だから貢ぐ方は貢ぐに足る理由を探すようになる。

 

贈って贈られてでギフトが行き来するのは単なる友好で、単なる友好だから、贈り物に他意はない。

 

他意のある、例えば贈らねば・受け取らねば・受け取ったものには礼を尽くさねばと、義務が先に立つ関係は、友好とはまた別のもの。

 

受け取る側にとってお得なものは、贈る側からのギフト。ギフトだから、本来次もあるとは限らない。次があるとは限らない。一度切りでいいのならと、気前よく多方面で同時多発的にギフトが降り注いでいるのなら、それはむしろ需給調整の一環で、欠乏や窮乏に対する贖罪なのかも。かもかも。

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去年も雪が少なかったけれど今年はさらに雪が少なくて、12月もなかばだというのに街中には雪の気配全くなし。雪の真っ白いキャンバスが背景だと、より映えるイルミネーションも雪なしだと、ちょっと、だーいぶ、物足りない感じ。雪があると、もっとキレイなんだけど。