クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

バッファーとのお付き合い

テクノロジーファーストで、最初期から技術や機械に馴染んで親しんできた人ほど、人にしかできないことをよくご存じ。

 

というのが持論で、最初期から技術やマシンに馴染んでいると、人にしかできないことは人にしかできないこととして、無理な省力化や機械化に走らず人に任せるという合理的な方を選んでいるようにみえる。

 

例えば、お掃除ロボットを想像した時。

 

掃除する部屋は単に寝に帰るだけの場所で私物も最小限だと、お掃除ロボットは床掃除に威力を発揮する。だけど床掃除のついでに棚の埃を払うという機能を持たせようとすると、埃や汚れが目についたらとにかく掃除できる人にやってもらった方が、早く上手にできる。

 

寝に帰るだけだった部屋で過ごす時間が増えるにつれて、部屋にはベッド以外の家具や家電が必要になって、モノが増えていく。床面積が減ると、お掃除ロボットではきれいにできない部分が増えていって、人の手で掃除した方がきれいな状況が生まれて、ローテクに戻りがち。

 

最新鋭のお掃除ロボットは、一体何ができてどんな形態で外見なのか。まったく想像もつかないけれど。

 

掃除ロボットの威力を最大化しようとすると、結局はロボットが掃除しやすいように部屋のつくりを全く変えてしまうのが最適解となり、“人の住む部屋”そのものの形が変わるはず。

 

衣食住のすべてが揃った部屋を、ロボット一台できれいにしようと思ったら、衣モードに食モード、住モードの三機能が搭載されていないと、お掃除ロボットはお掃除ロボットとして機能しない。

 

掃除ロボットに食洗器、乾燥機能付き洗濯機があれば、家事負担はかなり軽減される。相当軽くなるけれど、その3つさえ揃っていれば生活が快適になるかといえば、そうでもない。

 

キレイ好き、あるいはクリーンな環境が必須だと、掃除が行き届かず手入れが難しくて清潔さを保てない道具を使うよりも、ローテクに走りがちとどまりがち。

 

新しい技術が入ってきて、どうやっても新しい技術やマシンに切り替えないといけない時。そんなケースの時は、人にしかできないことができる人を多く抱えている方を優先すると、行き過ぎた省力化がかえって停滞や遅延を招いた時もリカバリーがきく。

 

環境が整わない状況で、無理に新しい技術やマシンを入れてもうまく作動しない。

 

うまく作動しない状況を補うのは人で、人の用意ができないと、環境を整えることも変えることも先になって遠くなる。

 

最初期から技術やマシンに馴染んでいると、人にしかできないことにも早くから自覚的で、技術やマシンを盲信しない。アナログやローテクを早くから抑えにいくのは過渡期のバッファーだからで、バッファーが薄かったりそもそもないと、過渡期は越えられないのかも。かもかも。

 

最先端は、流行り廃りが激しい場所。流行り廃りが激しい場所にとどまり続けていると、過渡期を上手に渡るバッファーにも詳しくなって、バッファーとのお付き合いもそれだけ上手になっていく。ということはありそうな気がしてる。