クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ユートピアとディストピア

監視社会で少子化が進むと、ディストピア。自由を謳歌する世界で子宝に恵まれると、ユートピア

 

ティツィアーノが描いた『ヨーロッパの略奪』は、ゼウスが見初めたフェニキア王の娘を連れ去ろうとするワンシーンを描いている。ゼウスに限らず、オリンポスの神々はガールハント・ボーイハントに忙しい。

 

創世神である彼らに外敵はなく、創世した世界や群れを強く大きくしてくれる、王や英雄となる子宝を作るために世界を飛び回っている。ともいえる。

 

外敵はいないか見えてない世界の創世神は、ただ理想を追えばよく、理想のままに次代の王や英雄を発掘するのがお仕事で、戦いは神代のあとにやってくる。

 

1870年代のニューヨークの上流社会を描いた映画を見たことがあるけれど、彼らの社交はゴシップとイロコイで出来ていた。帝国主義を邁進する列強の側にある彼らには外敵はなく、敵がいないから安心してゴシップとイロコイで時間を潰していられるようだった。

 

欧米列強とは対岸にいる、帝国主義植民地主義の餌食とされそうな同時期の国々(日本含む)の緊張感(とはいっても歴史やフィクションから学んだものでしかないんだけど)とは、まったく別の世界が繰り広げられていた。

 

創世神は、世界や群れを強く大きくすることに自覚的で、次代の王や英雄の誕生に自覚的に関与する。なんてったって、神代のあとには戦いが待ってるんだから。

 

世界や群れを大きくすることに無自覚だと、ゴシップやイロコイに終始するだけで、そこから次代の王や英雄が生まれてくる気配はなく、歴史に名を残す王や英雄にも等しい存在が生まれてきたのはきっと、ゴシップともイロコイとも遠い場所から。

 

ゴシップやイロコイとは距離を置かないと理想は追えず、理想を追わなかったらユートピアも生まれてこないから。

 

監視社会で少子化が進む世界で、産む装置として選ばれた女性が感じる閉塞感をディストピアな世情とともに描き出した。そんな小説を読んだことがあるけれど、理想を追わずに群れを大きくしようとするとディストピアに突入し、そりゃポコポコ子孫が生まれてくるはずがないと納得した。まぁフィクションなんだけど。

 

残酷な神は、半神や英雄となる子を残さない神。

 

残さないのに神の座を降りず、神として君臨する方を選ぶから残酷なんだと、これもまた勝手に納得した。神でも何でもない人だったら、半神の誕生も英雄の誕生も期待されないし義務でもないし、群れを強く大きくすることにも関与しなくていいのにさ。

 

自由を謳歌する世界で子宝に恵まれると、ユートピア。監視社会で少子化が進むと、ディストピア。理想を追わなくなると、ディストピアが近付いてくる。