クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ニーズがない

100歳まで生きたい人手を挙げて。と、国民投票で信でも問うてみた時、圧倒的過半数が賛成票を投じる可能性ゼロパーセント。

 

ニーズがないものは、どれだけゴリ押ししてプッシュしても定着なんかしない。定着するならニーズがあるってことだけど、一体誰のニーズを満たしてるんだか。

 

寿命が尽きるのが先か、生活資金が枯渇するのが先か。あるいはお金があっても、判断力が衰えるのが先か。あまりにも長生きし過ぎた場合、ツールを含めた環境の変化についていけるのか。頼れる人はいるのか。と、望まない長寿は不安が募るだけ。

 

潜在的な不安を抱えた人は、不安につけ込んでうまい汁を吸おうとする側にとっての、常にいいカモ。

 

ついでに日本の社会保障システムにアクセスできると、寿命は延びて長寿への道もグッと近くなる。好むと好まざるとにかかわらず。つまり長生きしたくない人にとってはめっちゃ危ない、長寿がリスクで脅威になるってことさ。

 

だったら毎年健康診断を受けて、栄養に気を配って定期的に運動するなんて健康的な生活からは遠ざかって好まざる長寿を生きるよりも、とっととくたばった方がいい。というのが、長生きなんてしたくない人間の素直な反応だと思うんだけどさ。

 

長生きするために、健康診断受けて定期的に運動して。食事も管理されて長寿への道まっしぐらとなった時、得してるのは一体誰さ???と考えたら、100歳まで生きるニーズがどこにあるのかも丸わかり。

 

100歳まで生きたくない人 > 100歳まで生きたい人で、100歳まで生きたい人の方が少数派できっと間違いなし。だけど、100歳まで生きねばならぬ、あるいは100歳まで生きてもらわねばならぬとなると、きっと事情は変わってくる。

 

システムに生かされてる方が、断然生きやすくて幸せになれる確率が上がる人というのは、一定数居るもので。だから、何らかのシステムを背負っている人は、代わりが見つかるまで投げ出せず、場合によっては100歳超えても生きねばならぬになってしまう。

 

高齢になって自力ではできないことが増えていくなら、赤ちゃんに戻ることと一緒。

 

赤ちゃんを社会的強者だと思う人は、フツーいない。ところが高齢になって自力では何にもできない赤ちゃんのようなものなのに、それまでの属性によっては遠慮なく毟られてカモにされる。

 

その人は、うんちゃらかんちゃらの分野では功績のあったどなたかさん。という扱いを受ける代わりに、単に90歳オーバーのジジイ、あるいは100歳オーバーのババアとなって、属性で損せざるを得なかったそれよりずっと若い人達にとっての、復讐や仕返しの絶好のチャンスにもなり得てしまう。

 

それまでのモラルや道徳さえ変わってしまうような社会の変革期に、性善説に期待するのはお人好し過ぎる。

 

長寿の先にはロクでもないことしか待っていない。という事例を知っていて、しかもそれが属性という今さら本人にはどうしようもないもの由来から来るものだったら。現実から目を背けたくなるのも、無理はない。

 

現実逃避したくなるのも無理はないし、実際のところ現実逃避先にしか希望がないようにみえるのかもね。かもかも。

 

属性で損せざるを得ないには、年代も含まれるけどさ。だからといって、属性で損せざるを得なかったから、復讐や仕返しの絶好のチャンスをがっつり利用して私利私欲を満たしたのなら、公や公的な再配分システムからは退場してもらうことにしてご愁傷様。あたりで、ちょうどいいんじゃない?

 

長寿に怯え、いつ不安につけ込まれるかと心配事を抱えたまま生きるのは、リスクでしかない。だけどリスクは、つぶしてしまえばリスクにもならない。

 

生きたくないのに、属性ゆえにいつまでも生かされる。そんなシステムや社会環境が整ってしまう前に、つぶせるリスクはつぶしにかかってるのさ。