クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

その方が早い

倫理を持ち出されたら、革新なんて進むわけがない。

 

人でなしと罵られることは、だから革新をめざす側にとっては単なる褒め言葉。そもそも人間らしさなんてめざしてもいなかったら、人でなし、人ではないものになった方が早い。

 

なのに取り扱い要注意な倫理に真正面からぶつかっていくなら、めざしているのは革新とは別のモノ。倫理と革新とのバトルとか、要するに新しいものはめざしてない。手垢のついたスタイルを繰り返してるだけ。新しい地平はめざしてないから、わざわざ真正面からぶつかって、革新の歩みを止めにかかる。

 

わざわざ革新めざして真正面からぶつかっていくんだから、ぶつかっていくのは革新とは真逆の方向から来たもの。

 

歩みを止めるのも、人でなしっちゃ人でなし。人でなしが人でなしを根拠にして何かを人でなしと詰ってみたところで、説得力に欠けまくり。都合よく革新と古いもののあいだを行ったり来たりだと、なおさら。

 

その場合、言いたいこともやりたいこともたったひとつで、要するに俺・私のやりたいようにやらせろでしかなく、俺・私のやりたいようにやらせろと号令さえ出せばいい界隈からでも来たのかも。

 

オーダーひとつで、大勢が同じ方向を向く。

 

そういう界隈だと、オーダーさえ出せば済むからとっても簡単。リーダーとしての資質を磨く必要もなく、磨く必要がないから磨かないまま自意識だけが肥大していって、承認欲求のお化けが出来上がる。

 

自意識だけが肥大して突出した承認欲求お化けの使い道といえば、お化けなんだから人でなし。

 

そもそもお化けで人でなしだったら、多少手荒に扱ったところで手荒に扱う方の良心も痛まない。革新をめざす側が最初に心掛けるのは、革新めざしてまっしぐらなお化けで人でなしを育てることかもね。かもかも。

 

本人が了解済みで、お化けや人でなしを最初からめざしているならともかく。

 

俺・私は革新めざすことにしたから、まず手始めに便利に使える承認欲求お化けで人でなしまっしぐらを育てましょ♪育ち損なっても知~らない。だって、進歩に犠牲はつきものだもの。

 

という人でなし対策としては、進歩の犠牲が生涯くっついてくるようにすると、野放図にお化けや人でなしを育ててみてはポイ捨てするような、非人道的なことも早々できない。進歩の犠牲が生涯くっついてくると思えば、犠牲を産むような革新も早々めざせない。

 

それでも気にしないのなら確信犯で、確信犯だから正攻法が通じない。正攻法が通じない相手に正攻法で挑むと、単なる消耗戦にしかならない。という教訓は、常識が異なる相手と対峙する場合には、いっちゃん最初に教えておくといいのかも。

 

常識が異なれば、正解も違う。

 

そういう相手に、こちらの常識や正解の方が上やあるいは正しいと押しつけたところで無意味。バトルがしたいだけの側と、そもそもバトルなんてすっとばして正解にたどり着きたい側とでは、折り合うわけがない。

 

二月は逃げるで、あっという間。