クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

走らない

紳士は決して走らず、歩いてる。

 

と、スティングも言ってるけどさ。自転車操業に火の車は急いでる。よく燃えてる火の上は、急いで渡らないと大火傷。自転車は、ペダルをこぎ続けない限り前に進まない。

 

走る必要がなく、急いでるわけでもないから紳士は歩いてる。急ぐ必要がないから、休んでも無問題。

 

我こそは真の紳士淑女なりと思う方々が、これから誰がもっとも長時間止まっていられるか競争を始めまーす!と新しい遊びを始めた時、いっちゃん最初に競争から降りる人が一番のお利口さん。

 

見ているのは数が多い方。今さらめざしたところで、誰もがなれるものではない何かよりも、確実に足りなくなるのがわかっている方。お利口さんは、ちゃんと現実の方を向いているから、お利口さん。

 

見栄やプライドは、現実から目を背けさせるためのちょうどいいツールで、現在地点を見失わせるのにお役立ち。

 

急がなきゃいけないのに、悠長に歩いていたら大火傷。ペダルはこぎ続けなきゃいけないのに、地に足付けずにこぐのを止めたらコケるだけ。現在地点を見失わない人だけが、いつも足の引っ張り合いからは上手に抜け出して、走らず歩いてる。

 

コツや秘伝を伝授するのは、お利口さんにだけ。

 

周りの景色がよく見える。何が起こっているのかよくわかるのは、走らないから。走っていたら、景色に気を配るよりも先を急ぎがちになって、見落とすものも多くなる。

 

大火傷したりコケたりした人やモノを誰よりも素早くサルベージして我が物にできるのも、走らず歩いているからさ。

 

歴史ある街には、神社仏閣に大聖堂やあるいは立派なモスクがつきもので、勝手に信仰を寄せられるものが、いかに立派になるかがよくわかる。

 

ほっておいても勝手に信仰が寄せられるものが立派になっていくのは、信仰を寄せる対象がみすぼらしいとイヤだから。イヤだから、課金や寄進に寄付といった行為を通じて、信仰を寄せる対象を立派にしていく。

 

立派になりました、きれいになりました。さぁどうぞと言われた時に、黙って受け取っている限りは、立派できれいなものを手にすることができるけれど。受け取らない、あるいは受け取れないとなった時には、立派なものもきれいなものも、取り上げられる。

 

勝手に寄せられる信仰は、何しろもともと勝手なものだから、信仰を寄せる先は次々に変わっていく。

 

そういうものと分かっているもの同士だけが、持ちつ持たれつで末永~くお付き合いしてるのさ。