クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

最後のお仕事

現に損してるし、損させられている。にもかかわらず前に出たがり、リーダーになりたがるなら度し難くて、度し難いから何度でも同じことを繰り返す。

 

何度でも同じことを繰り返す。前に出たがりでお山の大将になりたがりを据えるのにちょうどいいのは、誰もやりたがらないポジション。損をしてる、あるいは不当に損をさせられていると思っている人は得をしている人よりはるかに多く、はるかに多いから短期間でかき集めやすい。

 

次こそは損しないという思惑で一致した集団は、ある種の意欲が旺盛で、旺盛だからハードワークも厭わないけれど損得勘定には敏感で、敏感だから無理をしない。無理をしないから過剰に抱え込むこともせず、抱え込みたくないことは率先して都合のいい相手に割り振って負担を軽くする。

 

あら、古くて停滞して重たい荷物をたくさん背負った集団や何かを解体するのにピッタリじゃん。

 

何かの固有名詞をポイッと検索すると、引っ掛かってくるのは似ても似つかずむしろ無用のものばかり。むしろ、ある固有名詞の印象そのものを悪くする。という現象に出会った時には、その固有名詞はチャリンチャリンと不労所得が転がり込んでくるお財布のようなものなんだと勝手に思ってる。

 

チャリンチャリンと不労所得が転がり込んでくるお財布のようなものだから狙われて、不労所得の源泉をひとつひとつ潰していけばお財布がお財布ではなくなってしまう。生計を不労所得に頼っていたのに不労所得がなくなれば労働市場に戻るしかなく、労働市場に人が戻ってくれば、労働力不足の解消にも役立つ。

 

イヤがっている、嫌っている、疎ましく思っている。その種のものを、敢えてわざわざイヤがって嫌って疎ましく思っている人の目に留まるようにするのはヒトのお仕事で、好ましいものが目に留まるよう設計されたマシンにはできないこと。

 

喜怒哀楽といった感情を扱うお仕事は、扱う感情が繊細になればなるほど人に有利。箸が転がってもおかしいような人を喜ばせて笑わせるのは簡単だけど、箸が転んだ程度ではもうクスリともせず無反応な相手を笑顔にして喜んでもらうのはより難しい。

 

その代わり、怒らせたり不快にさせたりするのは簡単で、人の心の痛みを無視すればいいだけ。無視すればいいだけとはいっても人の心の痛みを無視するのは、繊細な感情を理解する人にとっては難しく、繊細な感情を理解できるような人にやってもらうことでもないから、マシンにやらせた方がいいことになる。

 

心の痛みといった繊細な感情を理解する人はより人らしいから、人にしかできないお仕事の近くへ。心の痛みがわからないのは人よりマシンに近いから、マシンにしかできないお仕事の近くへ。

 

人を怒らせ不快にすることで報酬を得るのは、最後のお仕事。

 

最後のお仕事だから、次に待っているのはもうお仕事じゃない。必要なのは労働力だけという、機械的に手を動かし反射的に反応して対応する、感情を無視して感情を排した何か。本来感情を持たないマシンが得意とするものでありながら、マシンにやらせるのにはまだ少し早くて複雑さが要求されるようなこと。

 

人にしかできない最後のお仕事か、マシンのすぐ近くでマシンの手足となって労働力を提供するか。悪魔と取引きでもしない限り、フツーはそんな究極の選択を迫られることもない。悪魔と取引きした時点ですでに、負けは決まってる。

 

相手は悪魔なんだから、神様にでもならない限り負けるに決まってるさ。