かなたに一ヶ月超の長期コースがあり、こなたに一日で通過できる最短コースがあり、オールインクルーシブでかかるコストすべてを比較したらトントン。だったら、一見高額に見えても一日で済む最短コースを選ぶ方が合理的で、合理的な“出口“を独占できたら丸儲け。
本当は安価だった長期コースのコストを引き上げ費用面での優位性を潰せば、長期コースは存在意義を失くす。
多様性を否定し、ひとつになりたがるのは利益や利権を独占したいからで、独占は儲かることを肌感覚で知った人は、手にした美味しい果実を決して手放さない。破滅するまで。
独占する側に身を置いて、利益や利権を手中にしてる間は余裕があるからその言動も穏やか。言動、特に発信することばが暴力性を帯びるようになってきたら、余裕が削られ魂まで食われ始めた兆し。
とはいえ余裕はないから、ことばの暴力の矛先は決して強者には向かわず、目に付いた弱者、多少ことばの暴力でもてあそんだところで反撃しようもない相手を狙う。誰でもよかったと言いつつ通り魔が、ムキムキで筋肉隆々の見るからに強そうな人を狙うことは決してないのと一緒。
多少ことばの暴力でもてあそんだところで、反撃のしようもない相手筆頭といえばその辺のフツーの人で私人。何らかの権力を持った相手をことばの暴力でもてあそんだら、ペナルティが課せられる危険があるけれど、私人なら無問題。
鬼が大暴れするように暴力性のあることばが大暴れしたら、瞬間風速的な注目はとりあえず期待できるけれど、瞬間風速だから持続はしない。持続しないのに、注目を集めることがタスクでお仕事だったら、そのことばはより過激になっていく。
より過激に陰湿に。たまたま目に付いたその辺のフツーの人に無意味にことばの暴力を浴びせるよりも、誰もが知る有名人に語ってもらった穏やかなことばの方が、聞き入る人は多いと思うんだけど。
より過激に陰湿に、その辺のフツーの人にことばの暴力を浴びせ続け、浴びせ続けた相手がキレて応戦してきたら、鬼一匹が大暴れするより注目度は上がり、プロレスになったら喧嘩両成敗で、売られた喧嘩を買った方がバカを見る。
そもそも大物とのパイプもコネもないから、いつまでたっても“いじっても反撃できなさそうな相手“を選び、延々とことばの暴力を浴びせて注目を集める手法に頼ることになる。飽きられていても。
大物と何らかのコネクションがあれば、その辺の私人のココロを食ったりしない。
ことばの暴力をふるえる立場にある人が、誰もが知る有名校出身で有名企業在籍者なら、ツテのツテで大物につながることもあるけれど、その種の知己がひとりもいなかったら、相手にするのも餌食にするのもその辺の人。
持ち上げて落とす。きれいねステキねと褒めそやした、その同じ口で今度は口汚く罵ってネガティブキャンペーンを行うのは、一粒で二度美味しくいただく手抜きの手口。手抜きする対象が、誰もが知る相手から限られた人しか知らんがなな人に変わったなら、誰もが知る人たちからは、もう相手にされなくなった証拠。
その辺のフツーの私人に、気まぐれに牙を向けて憂さ晴らしを兼ねてお金儲けしている集団がいれば嫌われても当然で、共食いだから頭悪そうにしか見えない。産めよ増やせとがんばって旗を降ったところで、対消滅狙いの誘いに乗る人が増えるばっかりだと、いつまでたっても増えやしない。
よさこいの衣装は文化祭や体育祭っぽくて、札幌まつりの神輿渡御の衣装はより時代がかって本格的。どうせお仕着せで着るならより本格的なものをと望む人が増えると、新興が薄っぺらに見えて、伝統への回帰も進む。