クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

無駄に頑丈

動画配信サービスが充実というより乱立し、映画なんて見放題という現状で、“わざわざ”街中にあるシネコンに足を運ぶのは、デートだから。というケースはきっとある。

 

デート、つまりカップルで見に来るケースが多いからか、見ようとしている映画のジャンルに関わりなく、本編が始まる前にはこれでもかと恋愛映画の予告をシャワーのように浴びる羽目になる。コメディやアクション、あるいはドキュメンタリータッチの歴史ものを見に来てる人に、恋愛ものを見せてどうすんのさ逆効果も甚だしい。

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と、動画配信サービスのレコメンドにすっかり慣れ親しんでいると、居心地悪いったらありゃしないんだけど、よく考えなくてもあれは少子化対策。子供の数が順調に増えていたら、産めよ増やせよと恋愛ものに極端に偏ることもなく、いろんなジャンルに均等に露出の機会が与えられたのにね。

 

恋愛ものを強引に推し過ぎると、知るかそんなもんと真逆に振れてアンチが増え、大恋愛か愛なき不毛の世界かの二極化に陥りがちで、競うように極端に走ると決して極端には走らないものが結局目立たなくなる。

 

目立たなくなったから、極端な人生を歩んでいる人しか、世の中には居なくなったかのように錯覚しがち。日常を描いて日常に寄り添ったもののジャンルはすっかり細り、もっとも多くいるはずのマスの人に対して届けるつもりがないと見切られたら、そりゃ見切られたマスの人はソッポ向く。

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見てもらいたい方は必死で、必死だからつい前のめりで一生懸命になり過ぎて、一生懸命が過ぎると過剰になり過ぎ、過剰さが鼻につくようになると見てもらえなくなる。

 

というジレンマを一切感じさせないものほど、素直に見れる。必死なんだけど必死さは表に出さないし出せないというのはなかなかにストレスが溜まりそうで、ストレス耐性のない“中の人”から先に潰れそう。

 

最後まで残るのは結局ストレス耐性のあるもので、ストレス耐性があるものはだいたいデリカシーからは遠くて無駄に頑丈で、逆に言えば繊細さからはほど遠くなる。そう考えると、どんなジャンルであっても最後までしぶとく残るのは“鬼”を描いたものになるとわかって“鬼”を究める姿勢は、最初から生き残りを真剣に考えている。

 

生き残りを真剣に考えたら鬼に行き着くけれど、大勢がいっせいに鬼めざして鬼が量産されたらせっかくの鬼も台無しで、台無しにしたかったら量産するに限る。数の勝負になったら結局は資本と資金がものを言い、ヒエラルキーが復活して秩序なき世界も遠くなる。

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どこよりもたくさんのポプラの綿毛が集まっていて、ここが風の吹き溜まり。

今日から札幌祭り。天気は上々で、おまつりだから土地神様がんばってる。