お金持ちが一切登場しない、お金持ちワナビー向けコンテンツの需要が一体どのあたりにあるのか謎。
お金持ちワナビーが見たいのはお金持ちであって、お金持ちワナビーがみたいわけじゃない。アイドル好きな人はアイドルが見たいのであって、アイドルについて語るアイドル好きな人が見たいわけじゃないのと一緒。
だからお金持ちワナビーしか登場しない、お金持ちワナビー向けコンテンツの発信者は結局、お金持ちにはなれなかった側と思ってながめてる。
お金持ちあるいは成功者が必ずやってるあるいは絶対やっていない系のフレーズがはいるだけで、どんなにいいことを言っていても台無し。褒めていようがけなしていようが、要するにお金持ちあるいは成功者へのラブレターは、公開ラブレターには興味ない人の目に晒されると、だいたい台無しになる。
台無しになることなんてすっかり承知のうえで、誰かや何かへの愛(憎悪含む)を叫ぶ人は、愛を叫ぶ行為そのものを愛してるだけで、メシの手段。メシの手段だから、褒めたりけなしたりをやめないだけ。
双方向を想定せず、ただ一方的に褒めたりけなしたりしてるだけだから、彼らの物言いは猛々しくて耳障り。猛々しくて耳障りなものとセットで記憶されると、愛情も憎悪も抜け落ちて、ただ耳障りなものだったとすべて一緒に記憶されてしまう。
悪い印象を植え付けたいものは、猛々しいものとセットにする。良い印象を植え付けたいものは、鉦と太鼓もセットで声高に猛々しく宣伝なんかしない。
印象操作って、そうやるもんでしょ。
自分たちの正業を、自分たちがよしとする本来の形とは違う形で利用し汚す奴は、ただ目障り。だから目障りなものは耳障りの悪いものと一緒にして、悪い印象を周囲にも抱かせるよう仕向けるもの。
持ちつ持たれつの一線を越えたあとでは、双方向なんてありえず一方通行。
全然関係ないけど、消費者保護からもっとも遠いのが不動産業界で、ノンリコースローンが一向に浸透してないのが何よりの証拠。不動産価値を毀損してもペナルティなしなら、価値を高めようとする動機は生まれにくいやね。
お金持ちが一切登場しないのに、今日も飽きずにあるいは懲りずに、お金持ちについて何か語っているのは、公開ラブレターを読むようでただ面白い。
ラブレターを貰いなれてる人は愛情を向けられるよりも、愛情を注げる対象に目を向けがち贔屓しがち。