クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

名声とか名門とか

クリスマスリース松ぼっくりを、南天の赤い実に変えるとお正月仕様。

 

クリスマスに仕事納めでお正月に人手不足とくれば、重宝されるのは早変わりの術。すっかり取り換えるなら、松の内も明けて節分やバレンタインが視野に入ってからでもいいじゃない。という、態度や雰囲気がすみずみまで行き渡ると、季節感は薄れていく。

 

世界征服を“せかいせーふく“と表記すると、幼稚園児が書いた七夕の短冊っぽい。戦隊ものや何かの見過ぎかもしれないけれど、戦隊ものその他に感化されて世界征服を願う幼児なら、世界征服、難し過ぎと挫折も早いから、そう心配することもない。

 

大人になっても世界征服の夢を捨てない。あるいは、大人になってから世界征服の夢にかぶれた。そういう人には要注意。何しろ大人だから。大人だから、彼らが世界征服の手下として目を付けるのは、子供。子供に何を吹き込むのかわかりゃしないから、おっかない。

 

敬天愛人あるいは古臭いところでは質実剛健

 

高校野球の学校紹介ではもれなく校訓も紹介され、校訓は校訓らしく、たいてい型にはまっているのが面白い。広告のコピーのように、ひと目を惹くことを目的にしないと型にはまったものになるものか。

 

スポーツ名門校に、学業優秀な名門校。名門校にも色々あって、彼ら名門校には名門校らしい校訓も漏れなくついてくる。もちろん立派な校訓を持つから名門校であるはずはなく、彼ら名門校を名門校たらしめているのは、一にも二にも卒業生。あるいは在校生。さすがと思われるような人材を次々に輩出するから、名門校は名門校と呼ばれるもの。

 

立派な校訓、立派な理念を掲げているから名門なわけじゃない。

 

長く続く名門校には流行りすたりもあって、黄金期や逆にいまひとつパッとしないという年代もあり、そのクオリティーは常に一定ではないけれど、それでも続々と有為な人材を輩出し続けるのが名門校。常に一定のクオリティーで、たいへん有為な人材を輩出し続けるのが超名門校。

 

企業も学校に似てる。常に一定のクオリティーで有為な人材を輩出し続けるから、名門企業と呼ばれ、常に一定のクオリティーでたいへん有為な人材を輩出し続けると、一流企業と呼ばれるもの。

 

名門企業の序列に変化があれば、名門のはずなのにどうしたの???と思う人材の輩出が続き、取引先その他で評判を落としているからかもね。

 

ある分野でエキスパートと呼ばれるような人が、長らく在籍した業界や分野について、遺書とも思える詳細な本を書くことがある。そんな時は、今後はもう彼らのようなエキスパートはそこからは生まれないという、警告も兼ねていると勝手に思っている。

 

本当にその業界の生え抜きなら、当然知ってるはずのあんなことやこんなこと。

 

その種の知識を必要としない人材が、以後は大量に輩出されるかもという危機感が、彼らエキスパートを動かし必要とする人には伝わるように書き残す。

 

せっかく書き残された遺書を大勢の目につかないようにするのは、知識の独占を兼ねつつ、業界の歴史を書き換える側に都合よく書き換えるためかもね。

 

トンビから鷹が産まれるのが楽しかった人は、銀のスプーンを握って生まれてきた人をサラブレッドとして鍛え上げることには興味も関心もわかず、いつまでたってもトンビから鷹が生まれないことに業を煮やした人は、教育そのものにも興味を失くす。こともあるかもね。

 

いったん獲得した名門の名を持つ学校や企業には、ほっておいても優秀な人材が集まってくる。そのありようは、もっとも原始的なプラットフォームで、名声の使いどころをよくわかってる。

 

巨大プラットフォーム企業がなぜアメリカ生まれなのかと考えた時、そもそも名声に支えられた大学ビジネスというプラットフォームが身近だったから。というのは、個人的に納得しやすい。