クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ご馳走様

雪の上を歩くときは知らずに踏ん張ってるせいか、翌日以降に思わぬ場所が痛む。歩くだけでふだんは使わない筋肉もストレッチできるとなれば、家の中で工夫凝らしてストレッチするよりも、歩いた方が早い。

 

しっかり着込んで寒気の中を歩き回ると、頭寒足熱っぽいせいか気分もいい。暑さはどうにもならないけど、寒さは着込めば何とかなる。昔から、寒気あるいは冷気の中を歩くのは好きだった。

 

ご馳走は、東奔西走して食材をかき集めておもてなしすること。今日はクリスマス用、明日はお正月用、明後日はクリスマスとお正月の間のインターバル用と、冬眠前のリスやクマみたいに食材をかき集め中。

 

これぞと思う商品を品定めしたあとは、まとめて発注。あとは寝て待つだけ方式にすれば効率がいいけれど、そもそも趣味だから効率は求めてないんだな。非効率な方に軸足を置いてる人は、だいたい趣味でやっている。だから、より趣味性の高いものを求めがち。

 

新製品や見慣れぬ北海道初上陸品。群がるように長蛇を作る人たちは、より趣味性が高いものを求める人たちの姿。あるいは、知る人ぞ知るローカルな商品チェックに余念がない人も、やっぱり趣味性が高い。

 

趣味性が高い人たちの間ではやっぱりレア、希少なものの方が喜ばれるんだけど、レアなものを珍重するのはコア、あるいはマニアな人たちで、マニアはやっぱりマニアじゃない人たちとは別種の行動基準を持つもの。

 

マニア向けを狙わず、マニアじゃない人向けに売ろうとするとマニアは怒るけれど、市場が大きいのは明らかに効率に軸足を置いた方。目に付くから手に取る人が大半で、目に付かないところまで自ら掘り下げにいくと恐ろしく時間を取られるから、そこまでするのはマニアだけ。

 

勝手に人んちの冷蔵庫を開けて、いわゆるナショナルブランドの品しか並んでないかどうかでその人(あるいはその家庭)の生活レベルがわかるとほざく、とても失礼なシーンが昔読んだ小説にあった。

 

でもさ、他にやるべきことが多く生活において食の占める割合が低かったら、冷蔵庫の中身が普及品だらけになるのも別におかしくとも何ともない。一日あるいは日常のほとんどを過ごす別の場所、例えば会社で十分な食にありつけたら、私生活の食は必要以上に頑張り過ぎることもない。頑張り過ぎたら、逆に富栄養化が気になるところ。

 

供給が途切れないのは、レアなものを作る以上に大変なこと。供給をあるいは補給と言い換えば、より実感しやすいんだけどさ。

 

栄養が十分に取れることも大事だけど、とりあえず食の普及がひと段落したあとで期待されるのは、それが口にしてもいいものか悪いものかという味覚の発達。

 

食には興味関心の薄い、そもそもマニアじゃない人の味覚も発達すると、マニアな人との味覚の差も埋められる。だからマニアじゃない人向けに売るのは、効率以上についでに転がり込んでくる福音も大きいかもね。かもかも。