クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ポカポカあるいはヌックヌク

豆腐や納豆よりも、トマトにチーズを冷蔵庫に常備するようになったのはいつからか。日本料理の上の方の人たちが、伝統の継承に危機感を持つのも納得で、伝統的和食を常食する人は減り、加速する食卓の洋食化あるいは多国籍化に気付いてないはずがない。

 

伝統的和食を常食する人が減れば、伝統的食材の需要も減り、需要が減ったら供給も細って伝統的食材の調達にも苦労する。以前なら安価、あるいは手軽に手に入ったものが、いつの間にか入手困難になって高嶺の花、あるいは幻となる。

 

それはそれで商機が生まれるから、昔ながらの形で伝統を守りたい人と時代に合わせて伝統をアップデートしたい人とは、すれ違う。すれ違いに終わってるだけだったら、平和なんだけどさ。

 

都市居住者の特徴のひとつは、口が減らないこと。

 

どれほど理のあることを言っていても、破壊行為や暴力に訴えた瞬間から、都市居住者に多い、知的専門職につき政策決定権に近い中枢の人ほど、耳を貸さないか話半分でしか取り合わないと体感的に知っている。だから破壊行為や暴力の最中でもあとでも黙らない。

 

口では叶わない相手にうるさい黙れと手を出せば、手を出した方の負け。

 

大自然のかわりに都市に住む人の日々を癒してきた、美しいものや文化的価値の高いもの。行き掛けの駄賃とついでに破壊していくような人たちに、寄せられる同情は少ない。

 

美しいものや文化的価値の高いものを破壊したあとで新たに作ったものは、往々にして古くからの都市居住者の美意識に沿った美しいものや見て楽しいものとは限らない。と、これもまた体感的に知っている。

 

ついでに、周囲との調和を無視して作られた新しいモニュメントは、周囲との調和が重んじられるようになると撤去されることもあると、これもまた体感的に知っている。

 

無理に繋いだ縁は、無理が効かなくなったら切れる。

 

懐かしいね、以上終わり。以上の共通する話題がなければ話は続かないし、盛り上がるわけがない。

 

暴力や強権に訴えても効果が薄いことを知っている都市居住者が、かわりに重んじるのは愛嬌。

 

平素からニコニコと愛想がよく、争いよりも平和を好む調整型の人の方が、何かと重用される。破壊で生まれるエネルギーよりも、調和で生まれるエネルギーの方が結局は効率がいいから。ネガティブなパワーから生まれるエネルギーは、ネガティブな出来事が続かなくなった時点で終了で、終了したあとにも残されるネガティブに染まった人はどうすんのさ。どうせ、別の人に後始末させるんでしょ。

 

お勉強はよくできるけど性格が悪くて暗く、プライドの高い人は、時として暴力の無意味さをよく知っている。だからこれと狙いを定めた相手を極限まで追い詰めて、暴発するのを待つような暴力の使い方をするするからタチが悪い。陰険な人、イヤねー。

 

今日の最高気温は10℃を越し、師走に入ったけれど自転車でチャリチャリ出掛けても支障ないくらい。クリスマスマーケットに雪がないのは興ざめで、興ざめだけどたまにはこんなシーズンがあってもいい。