クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

足りないものを知る

初鰹は初夏、秋刀魚は秋、寒鰤は冬。魚、あるいは魚食には旬があるけれど、肉食の旬というのは聞いたことがない。

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クリスマスのチキン、あるいは感謝祭の七面鳥なら季語にでもなってそうだけど、ハンバーグは春に食べるべしとか聞いたこともない。基本、年中手に入るものだから、旬とは無縁。肉食の本場なら、季節を感じる食べ物として伝統食になって伝わってそうではあるけれど。

 

例えばローストビーフあたりは、ハレの日の食べ物としてパーティーシーズンになるとスーパーその他でよく見掛ける。けれど、旬と言われるとちょっと違う。いのしし鍋こと牡丹鍋なら、あぁ冬ねと旬を感じるんだけどさ。

 

ある人が進歩的かどうかは、子女の教育に現れる。

 

進歩的とひと口で言っても、親であるその人の置かれた立場から足りないものを足そうとしがちで、解はさまざま。たったひとつの正解があるわけではないから、よその家庭の意見は、参考にはならないかも。

 

まったく受験勉強せずに、エスカレーター式に大学あるいは大学院まで進学できるような、財布と看板が揃った環境だと、ハングリーさと視野が欠けがち。

 

適度なハングリーさは身に着けて欲しいけれど、上から下まであまりにも多様過ぎる環境だと繊細さが損なわれるかもと心配する環境だと、お財布と脳ミソ次第で適度にエスカレーター式を取り入れる。

 

中学あるいは大学入学時には受験が必要だと、中だるみしない。

 

脱落した時点でコース外に放り出される、厳しい競争が前提の進学校だと、ハングリーさは存分に育まれる。そのかわり他者との協調は不得手になり、場合によっては身につけなくてもいい狡猾さも存分に身に付きそうで、イヤかも。

 

たったひとつの正解なんてないけれど、もしも自分だったら将来的にQOLの低下に耐えられる準備も折り込んでおきたいところ。

 

QOLの低下に耐えられないと、QOLを保つために無駄な出費を重ね、ついには横道に逸れる可能性もあるから。QOLが保てなくなった時、がむしゃらに稼ぐ方向に舵を切るのか、自らの知恵で乗り切るのか。よそはよそ、うちはうちという意思が揺らぐと、足りないままよそに合わせようとして、自滅する。

 

先進国首脳会議、最初は7ヵ国だったのに今や20ヵ国に増えた。

 

もはやそこは、新興国ではなくて先進国。あるいは主要国。なのに、お前ら新興国は黙って先進国、それも先進国中の雄である我に従えというやり方しかできなかったらコンフリクトが生まれるだけ。

 

コンフリクトしか生まれないから、旧新興国を先進国並みに扱わねばならない場から立ち去るのは、自分たちの限界を知ってるってことでもあるから、ある意味賢明な態度。

 

リーダーその人は変化に気づいていても、リーダーに従う多数の人たちの意識は昔のままだった時、リーダーに合わせてその他の人たちが変わるのか、リーダーがその他の人たちに合わせて変わるのか。

 

変わらない人たちに焦れてリーダーが逃げ出し、残された人たちがおのれにとって都合のいい人をリーダーを立てるようになると、自分たちの器以上のリーダーはいつまでたっても現れず、リーダーなしでも回るシステムが完成しそう。