クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

「あんなことがあったんだもの、しょうがない」理論

新築マンションの平均取得価格がバブル期超えの波は、北の国まで遅れて届いて、中古マンションの価格設定まで強気。

 

キャピタルゲイン狙いがあからさま過ぎるもの。誰が買うの???

 

中心部の中古か郊外の新築か。どちらにしても、納得価格でもお手頃価格でもない時は、「おうち」以外への出費が増えそうなものなんだけど。賢くなった消費者に、過去の経験則は一体どれほど通用するものなのか。謎。

 

お盆を過ぎるとすっかり涼しくなって、なんだか喉が痛い。涼しいを通り越して、夜ともなるとすでに寒いから、いつまでも夏気分で薄着だと風邪引きそう。今年の夏は天候不順だった。。と、貴重な夏空の写真を振り返って思い知る。瞬間的に猛暑がやって来ても、たかが知れてる。

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それぞれ別の日、別の場所で撮ったもの。

 

オロロンラインをひた走った昨年に比べれば、あんまり出掛けた気もしないけど、それでもボチボチ今年の夏も出掛けてる。どこに行っても外国人観光客が居ない場所はなく、“正月はハワイ”みたいに、“夏は北海道で避暑“がアジアで定着すれば、観光客数も右肩上がりでめでたいね。

 

外国人観光客とは縁の薄いところには、外国人観光客に押し出されるカタチで別の観光客が増えるはずだから、この波に乗り遅れるなと過剰に心配することもなし。生き残ってきたのは、いつだってリアリスト。

 

水と油に月とすっぽん。白と黒に優等生とヤンキー、あるいはスポーツマンともやしっ子。そのままでは、仲良く手を繋ぐことなんて考えられない二者を結びつける魔法は、「あんなことがあったんだもの、しょうがない」。

 

Aが困った状態に置かれた時。Aに救いの手を差し伸べたのは、類とものA´ではなく対極にあるBだった。ということでもあれば周囲の人も、それならしょうがないと奇妙な取り合わせにも納得しがち。

 

でもさ。最初から、「それならしょうがない」と周囲に思わせるために、Aに差し伸べられた類ともであるA´からの救いの手のことごとくを、Bが蹴散らしていたら、話はまったく違ってくる。

 

そうして出来上がった奇妙な取り合わせで、いっちゃん「得してる」のがBだったら、「あんなことがあったんだもの、しょうがない」と思われるような出来事の首謀者も、ほんとは誰だったのか怪しくなる。と、考える人もここにおりまして。

 

ほぼすべての揉め事は、金銭がらみ。動くゼニ金が大きくなるほど、揉め事もおおごとになりそうな一方で、動くお金がリアルに想像できる、現実的な金額の案件ほど揉めることもままあって。相続でも、多いとは言えない財産ほど争いが激しくなるとか言うのも、納得。抱え込むマイナスが大きくなるのも、十分に揉め事の種。

 

何人もの名前、表札がズラズラと並んで「私たち、相続でもめてまーす」と世間に向けてアナウンスしていた立派な一軒家があったのも、バブル期の景色。あなた誰?という親戚が沸いてきて各々権利を主張する景色が繰り返されると、「ゴネ得」が当たり前になって社会に浸透すんだよな。

 

そりゃ、ルールで先手打ちますわ。

 

お休みなさーい。