少女に老婆、あるいはアヒルとウサギ。Aを描きながらBも描く。この種の騙し絵はよく知っているけれど、正式な手法を何と呼ぶのかは知らない。複数の解釈がある、ダブルミーニングの手法になれてしまうと、もう素直にものごとが受け取れない。
最初から意図して描かれたダブルミーニングなら、狙い通りでなにより。
制作者の意図を越え、その気もないのに毒された鑑賞者の思惑が作品に入り込み、意図せざるダブルミーニングを背負わされることになったら、不幸だね。
日本語がわかり過ぎると、毒された鑑賞者の思惑あるいは先入観を、ついうっかり拾いかねないから、市中で聞こえてくる日本語比率が下がるほどに、その心配も減っていく。
ついうっかり拾いかねない街の声。シャットダウンするにはイヤホンが有効だけど、あいにくいつでも充電切れ。ワイヤレス充電。。欲しい。常に充電もしてないってことは今んとこ必需品じゃないってことで、必需品となった時にはちゃんと充電しましょ。
そのままではつまらないもの。
別の解釈を加えることで面白おかしく鑑賞できることは確かにある。あるけれど、そもそもつまらないものをつまらないまま受け取れる能力を磨く方が、面白おかしくするよりずっと大事よな。
箸にも棒にもかからないつまらなさではなく、わかることが少ないからのつまらなさ。面白いを増やそうとすれば、わかるを増やすしかない。と、部屋のすみにある積読本をじっと見る。
なかなか積読本の消化が進まないのは、うっすらと漂うダブルミーニングの気配が消えるのを待っているから。それなら、ダブルミーニングを汲み取りようもない、昔々の本でも読んでた方がマシなんだけどさ。
仮想通貨バブルにドットコム、あるいはITバブル。最初のバブルから考えれば、もう3回目くらい?
バブルも3回目くらいになると、どういう業種の人がホイホイお金借りてくれて、ホイホイ借りたお金でもきっちり返済してくれるのか。金融機関にはその種の知見くらい貯まってそ。
派手に借金重ねた芸能界の人が、往々にしてきっちりお金返してるのは、「顔」で借りたお金だからと思ってる。メンツや立場をひっさげた「顔」にお金が集まり、メンツや立場が生命線だから、必死で返す。返済できたら信用はまた上がるから、必死になって返すメリットもある。
メンツや立場をひっさげた「顔」で借りたお金じゃなかったら、あっさり自己破産して人生再出発する手法もあるのに取らないのなら、それはやっぱり「顔」を使って生きてるってことよな。
そういう場合もあるかもしれないという勝手な妄想で、勝手な妄想に走るのは、脳内にこびりついてるダブルミーニングの気配が消えるのを待ってるから。
虚心に、あるいは無心に。ただ文字なり映像なりを、追い掛けたいもの。
お休みなさーい。