クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

博物館級のドレスにうっとり『メットガラ ドレスをまとった美術館』見てきた

NYのメトロポリタン美術館で開催されるファッションイベント、メットガラ。映画スターや歌手といったセレブたちが、超豪華な衣装で登場することで超有名なイベント。

 

そのメットガラに密着したドキュメンタリー、『メットガラ ドレスをまとった美術館』を見てきた。密着対象は、2015年に開催された「鏡の中の中国展」オープニングイベント。

 

セレブ達が身に着ける、超豪華ドレスステキー(≧▽≦)!!! 

 

とうっとりできる、ドン小西のファッションチェック映画拡大版だと勝手に思ってた。

 

もちろんドレスなどファッションが主役なのは間違いないけれど、イベントを裏から支える影の主役たちに、より密着した作品だった。なので、あら想像と違う(・_・;)。。と、戸惑ったのも事実。

 

メットガラ、仕掛け人はアナ・ウィンターだけあって奥の深いファッションイベントだった。

 

影の主役として登場する三人

メットガラは、VOGUE全面協力のもとに開催されている。VOGUEの顔といえばアナ・ウィンターで、アナ・ウィンター大活躍。アナはメトロポリタン美術館の理事でもあって、これまでに1億2千万ドルという巨額のお金を、メットのために稼ぎ出している。

 

メットガラというイベントで、メトロポリタン美術館の一年間の運営費を稼ぎ出すんだから、気合も入りまくり。『プラダを着た悪魔』っぽいふるまいが飛び出すのも、ご愛敬。

 

アートイベントとしての顔も持つ企画展を仕切るのは、キュレーターのアンドリュー・ボルトン。ファッション好きが高じてキュレーターを目指した人。なぜだか脳内で、glee/グリーのカートに勝手に変換されてしまう。。姿かたちはまったく似てないんだけどさ。

 

インテリ風で優し気だけど、前例にとらわれず、思い描いた通りの世界観を実現してしまう切れ者でもあった。

 

企画展は「鏡の中の中国展」ということで、芸術監督には映画監督のウォン・カーウァイを起用。映画の中でも紹介されていた、『花様年華』のチャイナ・ドレスがたいそうきれいだった(≧▽≦)

 

この三名が指揮を執り、メットガラを作りあげていく。開催されるのはたった一日だけど、準備には1年近くかかる、その舞台裏にカメラが入る趣向。

 

メットガラはアップデートの場

“世界を変える人のもとには大金が集まる”を、地で行くアナ・ウィンター。

 

ハイファッションの女王として君臨する彼女は、メットガラでファッションをアートの領域にまで押し上げた。

 

メットガラでは、

・ファッションビジネスの役割

・美術館(あるいはキュレーター)の役割

・ステレオタイプな中国のイメージ

がアップデートされる。実際にはもっとアップデートされてるかもしれないけど、気付いたのはこの3つさ。

 

中国と日本と韓国の見分けがきちんとつく西洋人は、きっとインテリ。多くのフツーの西洋人は、場所もその歴史もよく知らない。基本、他国の事情に通じてる人はインテリさ。

 

日本だって少し前まではそうだったように、ステレオタイプな中国のイメージは、古い映画(=フィクション)に由来する。昔々の貧しい頃の中国に固定されたイメージを、映画、それこそ『花様年華』など中国にインスパイアされたファッションを通じて、アップデートしていく。

 

仕掛け人が、ステレオタイプな中国人女性像のひとつ、ドラゴンレディーそのものな、アナ・ウィンターってところが、皮肉。

 

思想をもって何かに取り組んでる人ほど、未来を楽観しない。楽観してないから、新しい“場“を作ったんだと思えてきたよ、メットガラ。パリコレに代表される古い権威は、もはや博物館行きなんだよという、きっつーい皮肉でもあるかも。かもかも。これは勝手な忖度です。

 

ファッションに対する価値観が、変わりすぎてしまった

“鏡の中の中国展”のために、倉庫で眠っていたような、ファッションの巨匠たちの作品が、続々とメットに運び込まれる。あぁうっとり(≧▽≦)と、現代のセレブが着るドレス以外にも、うっとりできる。

 

イブ・サンローランジョン・ガリアーノ、ジャンポール・ゴルチェと、そりゃもう豪華かつ現代では再現不可能なドレスの数々が披露される。ところでパリコレに代表される、博物館級の豪華なドレスの数々、一体今では誰が着るんですかね???

 

今どきのセレブ、あるいは世界一のお金持ちクラスであっても、着るものはもっとカジュアル。

 

あるいはネットビジネスで巨万の富を築いたような人たちは、そもそもファッションに無頓着だったりする。スティーブ・ジョブズとか。お金をかけるところが違う。そもそもファッション以外の自己表現手段、増えたしな。

 

特にネットビジネス系は、往々にして情報の非対称の解消めざして、持たざる者の味方ちっくにふるまってきたから、リッチになったからといって掌返せないこともある。

 

自分たちを豊かにしてくれたもの、あるいは支持基盤となってる人たちを、今さら裏切るわけにはいかないこともあるのが、現代のリッチマン。

 

彼らは、お金持ちになったからといって、自分のために超豪華な衣装を着たりしない。

 

アートのためetc.etc.、パブリックな目的があってはじめてゴージャスに装い、大枚出してパーティ券を買う思考回路の持ち主だったりするからな。

 

あるいは足長おじさん(orおばさん)になりたいリッチマン(orリッチウーマン)が、自分たちの代理としてふさわしい人物を、飛びっきりの晴れの舞台に送り出す。

 

2015年のメットガラと言われてもピンとこないけど、リアーナの長く引き摺る黄色いドレスはよく覚えてる。

 

そしてドン小西黒人バージョンみたいな人による、「貧しい少女が大スターになるのは大好き!!!」的なコメントからは、シンデレラストーリーを披露する場としても、メットガラが機能してることがうかがえる。

 

スターが集まるから、天文学的なお金も世界中から集まるってもんで。

 

メットだけでなく、NYにもお金が落ちる巨大集金システム、よくもまぁ作り上げたものさ、ドラゴンレディー。

 

政治的な意図なし

アナとキュレーターのアンドリューがメットガラでめざしたものは、商業主義とアートの融合。スターに代表されるストリートの熱狂を美術館に持ち込むことで、アートの世界にも熱狂を呼び込み、ファッションをアートの殿堂に押し上げる。

 

ファッションのような服飾関係は、古代から連綿と続く伝統芸術の前では、どうしても低くみられがちなんだとか。権威が幅をきかす世界は、どこも窮屈なもんだね。

 

企画展の準備中アナたちは、中国のジャーナリストから政治的な意図やメッセージについて、尋ねられもする。「どうして今さら明の壺なのか」と聞かれても、明代の陶器にインスパイアされたボーンチャイナの青と白のドレス、とってもステキじゃん。

 

現代中国を代表するデザイナーも起用されているけれど、彼女グオ・ペイの作るドレスからは、即座に中国のイメージは掴みにくい。それだったら、明代の壺にインスパイされたドレス(誰が作ったのか知らないけど)の方が、雄弁に中国を語ってる。

 

ストリートで着る服にはまったく向いてないけど、アート、芸術作品として鑑賞するならぴったりさ。

 

アートとなったフッションはより魅力的になったのか?

ストリートの人からは、ステキねーとうっとりされるゴージャスドレスだけど、日常には代替品があふれてる。ヒラヒラぴらぴらした、うっとりするようなステキなドレスに大金出すか、ファストファッションでなんちゃってに手を出すか。

 

見るに徹する人がいることを見据えての、アナとアンドリューによる、ファッションのアート化大作戦。アナもアンドリューもアートとファッションが好きすぎるから、ファッションをアートの領域にまで引っ張り上げた。

 

それはいいんだけどさ。

 

アートを目指すと大衆=ストリートからは遠くなる。大衆=ストリートに受け入れられることこそ勲章と考えていた、かつての巨匠たちは、墓の中で何を思うんですかね。シャネルとか、サンローランとか。そりゃ寂しさも感じるでしょう。

 

ファッションを、アートとは考えてなかったデザイナー達が作り上げたビジネスの道、大衆=ストリートに背を向けることで進化していくのなら、先祖返りっぽくて皮肉だね。少数のリッチマンだけを相手にしてもビジネスが成り立つのなら、ステキステキとうっとりできるのも、今のうちだけかも。えぇじゅうぶんステキステキとうっとりさせて頂きました。

 

お休みなさーい。