クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

変わったままでいられる環境

些少ですが寄付済みです。と、FBその他で自己申告するのは、なんだか赤い羽根募金みたい。同調圧力の強い集団内でやると効果もありそうだけど、ファッションとして考えたらちょっと無粋。

f:id:waltham70:20180712225555j:plain

ほぼ2年前の景色。

篤志家と言われるような人でも、人に知られずひっそりとやりたいと思う人ほど、赤い羽根つけるのも嫌がりそう。

 

以前住んでいたところで、公園の周囲の落ち葉やゴミを自主的にせっせと掃除しているマメな人が居た。緑豊かな場所だったから、油断するとすぐに濡れ落ち葉で汚れてしまうような場所。小さな子供にも優しくて、私から見ればいい人でしかなかったけれど、その人のことを変人や変わり者と呼ぶ人もいた。

 

もともと、その周辺すべてがその人の持ち物だったような人。身なりは質素だけどお金持ち。もとは自分のものだったから、自分の持ち物だった時のように、きれいであることを心掛ける、その態度が嫌われていた。多分、同じようにできない人たちが、無言のプレッシャーでも感じてたのかも。

 

お金持ちだったけど奢侈や贅沢とは無縁で、土地が札束に変わった後も、それまでの生活を変わらず続けていたような人。お金を使わせたい人にとってはきっと目障りで、目障りだから、変人や変わり者と呼ばれていたふしもある。

 

土地が札束に化けたエリアでは、火の手のない場所が突如燃え上がるような、不思議としか言いようのないことが時々起こる。燃えた家は売却の話が進んでいたり、経済的に困っていたらしいとなれば、ますます腑に落ちずにモヤモヤだけが残る。

 

お金が人を狂わせる。醜態に遭遇する回数は、お金持ちの人ほど増えるから、素朴な生活スタイルを崩さないのは、醜態とは距離を置く自己防衛の姿だったと思えば納得。

 

素朴な生活スタイルで満足していた人のもとにやってきたコンサル。彼は言葉を尽くしてマネーゲームに参加させようとするけれど、お金持ちになって何するんだ?と聞き返され、釣りでもなんでも好きなことができますよと答えたら、それなら今のままで十分だと言われて説得できなかったという逸話が好き。

 

やりたいことが決まってる人にとっては、環境の変化こそ厭わしいし煩わしい。厭わしいし煩わしいにもかかわらず、仕方なくマネーゲームに参加して首尾よく勝ち抜けた後に、やっぱり当初のライフスタイルを崩さない人は、変わり者と呼ばれるのはしょうがないのかも。

 

環境の変化を経ても変わらないのなら、その人の本質だから変わるわけがない。

 

設計は大事で、環境の変化を経ても変わらない人はいるものだから、だったら設計の方に手を加えて、好ましからざる人物が入ってこられないようにするのもアリ。あるいは、貢物が黙ってても転がり込んでくる仕様にしておけば、供物を集める苦労も少なくてすむ。

 

同じような環境の変化を経ても、同じように進化あるいは退化するとは限らない。変わり方も人それぞれで、想定外あるいはレアケースに対する入れ物はいつだって十分とは言えない。人と同じようになれないのなら、それも当然のこと。悪意を向けられるのも想定内じゃないと、変わったままではいられないわな。

 

お休みなさーい。