女子学生が内定を辞退しても禍根を残さないのは、キャビンアテンダントだけ。という時代がかつてありまして。その頃はまだスチュワーデスと言ってたんだけどさ。
学校推薦だろうが何だろうが、キャビンアテンダントなら仕方がないと諦めてもらえたのは、多くの女子学生にとって憧れの職業だったから。当時は才色兼備を代表する職業で、お給料もよかった。
だから「空飛ぶホステス」なんて悪口もあったけれど、悪口が出るのは羨望の裏返し。
女子学生と言っても色々で、女性の大学進学率も上がった今、内定を辞退してもあそこならしょうがないと思ってもらえる。そんな企業や業界は、今もあるのかよくわからない。女性の活躍の場が広がったことで、“憧れの職業や職場“も分散したと考えると、そっちの方が健全。
憧れの職業や職場は人によって違うという、ごく当たり前の事実の浸透とともに、かつての憧れの職業は地盤沈下していくけれど、その代わりに輝きだす場所があるんだからいいじゃない。と、軽々しく言えるのは、愛情や献身を注がれるのは当たり前で、そのくせ愛したいものにしか愛を返さない。芸術や文化に代表される気まぐれなものに、愛も献身も極小しか捧げてこなかったから。
努力が形になって返ってくる方が好みなら、事実が事実として尊ばれる場所を最初から選んどく方がいいやね。その方が、報われなかった時の恨みも極小。
今ではキャビンアテンダントは、才色兼備を代表するお仕事ではないけれど、“旅行が好き“な人にとってはきっと今も憧れ。お仕事で各地を旅することができて、旅することで繰り返し、日常をリセットすることができるから。
繰り返される日常とルーティンワークに耐える、あるいは慣れるのはなかなかに大変で、それまでの日常が喧噪まみれで非日常の連続だった人にとってはなおさら苦行なはず。
苦行の代理人あるいは道連れとして、耐性がありそうな誰かに目を付けて、繰り返し非日常の出来事でストレスを与え、狂人の真似して大路を走り出すのを待って捕獲という罠も潜んでいるから、平穏な日常も視点を変えればなかなかに非日常。
誰かから尊厳を奪うのは、尊厳を奪って脳内をフリーズさせ、思考停止させるのが目的に違いない。思考停止した脳内には、よくないものが容易に入り込めるから傀儡にするのに都合がいい。と考える程度には、陰謀論に親しんでいるかも。かもかも。
傀儡は、地位も権力もついでにお金もあるけれど、敵が多過ぎて表舞台には立てない人が、それでも自分の主張を通すために使うお人形さん。地位も権力もお金もある人は圧倒的少数だから、多数であるただの人に数で迫られたらたまらない。だから使う、お人形さん。
都合よく使われるお人形さんにならないためには、思考停止せずに、常に何かで頭の中をいっぱいにしておくのが肝心やね。ということで、日々何かしらの問いを立てつつ生きてます。
お休みなさーい。