クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

クリスマスといちご

偽者が多いということは、それだけ本物になりたがる人が多いということの裏返しなのかも。

 

サンタさんだよーとサンタコスプレでノーリノリの大人に対して、コスプレサンタを迎える側の子供のリアクションは時に薄く、期待したほどのリアクションでは迎えてくれない。

 

......また偽者が来た。サンタクロースになりたがる大人、多過ぎ。

 

とでも思ってたりして。その場合、偽者でも喜ぶというメンタリティーがまだ育ってないということで、よりピュアなお子様といえなくもないかも。サンタコスプレでおもてなしする大人の行動を慮って大袈裟に喜んであげるようなら、指折り数えられる齢のお子様であっても、すでに大人に配慮してる。

 

お子様のうちから、大人のおもてなしを敏感に察して大人に配慮した行動をとるようなお子様は、多分間違いなくお子様なりに疲労を溜め込んでいく。元気いっぱい走り回って溜まる疲労とはまた種類が違う、言ってみれば感情労働がつのって溜め込む疲労は、解放の仕方を知らない子供から生気を奪っていきそう。

 

少なくなった子供の数に対して、おもてなししたい大人の数が増え過ぎた時には起こりがち。大人の数が圧倒的に多い環境では、大人に配慮した行動を取る方が一見安全で、だから見よう見真似で大人っぽい振る舞いを早急に身に着けていく。

 

だけど子供らしさを失った子供なんて、単にいっちゃん最後に大人の列の後ろに並んだ、大人見習いでしかない。だからまだ指折り数えられる齢のお子様であっても、もうお子様扱いもされず、大人見習いとして雑に扱われるだけ。

 

大の大人が寄ってたかって子供に対して過剰なおもてなしをし、できるだけ速やかにおもてなしに配慮した行動を取るような大人になるよう子供に強いるのは、どっちかっていうと褒め殺しにより近い。

 

褒め殺したあとに、年齢不相応な感情労働に疲弊して倒れ込んでいるのは、子供ではなく大人見習い。見た目は子供でも中身は大人だから、丸まっちくて愛らしくていかにも子供らしい見た目であっても、見た目通りには扱われない。

 

大人の数が極端に多く、子供の数が極端に少ないと、どうしたって大人の側に寄せられる。数の多い側に寄せるってことは、結局多様性なんてガン無視してるってことさ。

 

早急に大人になるよう強いられることで起きる弊害は、早急に大人になるよう強いられた経験者の方がよく知っている。みんなと一緒に、年齢相応に年を取るだけでよかった未経験者は、そんなこと想像もしないし想像もつかないから、そりゃ雑に扱うし雑に扱ってることにも気付けない。

 

クリスマスという商戦のピークに向けて、いちごの値段は日々跳ね上がり中。

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定点観測しておくと楽しいものは、こういうものさ。

生ものという制約もあるから、そのうち値崩れするに決まってるんだけど。どのあたりで手を打つかと考えるその過程は、日々価格変動する金融商品にいつ手を出すかと考える過程とよく似てる。

 

クリスマスのいちごは、そりゃあった方がいいけどさ。ここまでスペシャルなものだっけ???今まで見たこともない、ブランドものいちごが多過ぎる。