クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ペタペタ

財産を数えられるうちは、本物のお金持ちじゃないとか言うけれど。

 

いつまでもほったらかしにできるのは数のうちにも入ってないからで、数のうちにも入ってない「財産」が数のうちに入るのは、財産を洗い直して整理でもする時。代替わりやその他。何らかの理由があって財産を洗い直した時にはじめて、あらこんなのも持ってたのねと認識されるのが、数のうちにも入ってなかったもの。

 

それまでは、手も付けず顧みられもせずにただほっておかれるだけ。

 

はやりすたりを作り出す側が、敢えて流行おくれ、はやりでないものを作って場合によってはそのままほっておくのは、時代に乗り遅れたものを一気にアップデートさせる時のため。

 

新しい何かをまずはお試しするにあたっては余白や余地が必要で、余白や余地が必要とはいえ、目に見える形で余白や余地が残っていたら、すぐに目を付けられて余白も余地も奪われる。だから、余白や余地がわりに時代に逆行した何かをわざと残しておく。

 

余白や余地をほったらかしにできるということは、喫緊の課題とは向き合わなくてもいい、余裕たっぷりで余裕綽々の何よりの証拠。余裕たっぷりで余裕綽々だから、多少見た目がアレだろうと何だろうと、気にもしないどころかそもそも数のうちにも入ってなかったらどうでもいい。

 

そもそも余裕たっぷりで余裕綽々だから、見た目なんてどうでもいいものと、余裕なんてどこにもないから見た目に構ってられないものとでは、一見すると同じくみっともないでひとまとめにされがちだけど、その中身は全然違う。

 

みんな一緒。

 

そういう状態しか見たことも経験したこともなければ、一見同じように見えても中身は全然違うものの違いは、きっと区別さえつかない。

 

みんな一緒で違いが許されないものの筆頭といえば、工場で作られる大量生産の工業品。同規格で均一な同一製品しか見たことがなく、同規格で均一で同一が心地いい状態に慣れてしまったら、違いに対する許容度も下がる。

 

違いに対する許容度が低いと、似たようなものはひとつにまとめたくなるかもしれないんだけど。それ、一見似てるように見えても中身は全然違う、混ぜたらあかん奴。というものまでおまとめしがちで、混ぜたらあかん奴同士を混ぜたらだいたい爆発する。

 

大爆発を見たあるいは経験したことがあれば、混ぜたらあかん奴同士を扱う時には慎重になって、無理に混ぜない。混ぜたらあかん奴同士を混ぜた奴は自己責任で、大爆発後の後始末まできっちり責任もってお願いしますと釘さしておけば、混ぜる奴なんてまずいない。

 

余裕たっぷりで余裕綽々だったら、ほっておける。火の車を回し始めたら余裕なんて素早く失われるから、無遠慮に何でも試すようになるもんさ。