クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ただの日記

911で飛行機がビルに突っ込んでいった時の映像は、死の間際には走馬灯のように現れるという、それまでの人生のダイジェスト版でも流れること間違いなし。「お前らなんか死んでしまえ」という憎悪のメッセージは、ただの目撃者にだって傷跡を残したのさ。

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象徴としての存在とはいえ、そこには男女の差はなく、ガラスの天井もなし。と、広く知らしめる効果があるから、いっぺんは男女の区別なく前例作っとくと、以後うるさく言われることもなし。

 

SEOに習熟すると、手の込んだイヤガラセも思いのままで、特定のメッセージを不特定多数の目に、それとはわからない形で届けることができて便利だね。

 

道具は使い方&使い手次第を逆手に取り、ポジティブさの増幅装置ではなく、ネガティブさの増幅装置として極めたら、道具としての魅力も半減。魅力が薄れたツールから、人が離れそうになったところで新しいツールをホレと寄越し、飽きるまで遊べやとの所業はいかにも神様っぽい。

 

遊ぶことが許されているのは、神様だけ。

 

7歳までは神のうちだから、新しいツールも7年経つまでは、劣化しようがどうしようが、お試し期間として遊び放題だったら、そこはやっぱり神様の箱庭。

 

神様の庇護や後ろ盾を失った後に残るのは、どこまでいっても人の営みで、いくら神様の箱庭をそっくり真似したところで、出来上がってくるのはどこまでいってもまがい物。本物っぽく見せかけたところで、まがい物はまがい物。

 

まがい物であっても、そもそも本家本元を知らない人にはどうだっていいこと。コピーであっても気にしない人はたくさん居る。コピーであってもご利益があるのなら、たかがコピーでも量産に熱心になれる。

 

そういや蛇の餌はマウスだったね。マウスにとっては蛇、大敵じゃん。

 

ブランド力は抜群にあって、それでいて一見すると弱っちそうで、でもよくよく見たら、これはヤバイと思う人や何かがバックについていれば、手出し無用とスルーするのが賢明。

 

疫病神っぽく見えて、実は弱っちそうな何かが独り立ちするまでの守り神でもあって、守り神が守り神としての役目を終えたらお役御免のはずが、いつまでたっても守り神役として残留し続けていたら、何かがおかしい。

 

もっとも弱いはずのものさえ独り立ちしてしまったら、疫病神の姿を借りた守り神は、一体どこに行けばいいんですかね。弱きもの、庇護する対象がないと立つ瀬がないという存在の、なんとも儚きことかな。

 

最高気温でさえ20℃を割り込んだ肌寒い一日で、季節はもうすっかり秋さ。衣替えしよっと。

 

お休みなさーい。