クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

これ歴史の教科書に載るやつや

昨夜はフランスの週刊誌襲撃事件をきっかけに起こったテロ行為に抗議する、パリでの100万人大行進を見てた。BBCのネット放送で。これ絶対歴史の教科書に載ると思ったから。歴史好きだもの。
 

 
「UNITY MARCH」、団結の集会と名づけられた行列の先頭では、フランスだけでなく、イギリス・ドイツ・イスラエルに西アフリカのマリ、パレスチナ、そして世界で最も美しいファーストレディー、ヨルダンのラーニア王妃が並んでた。
 

 
パリだけで100万人が繰り出した「UNITY MARCH」には、世界50ヵ国以上の国や地域のリーダーも参加してた。やっぱりこの事件は彼の地では、9・11クラスの出来事として受け止められてる。
 
 
9・11の時は、ネットの動画も今ほど使い勝手がよくなかった頃。テレビ各局が、一斉に同じニュースを放送し始めたので、ただ事ではないことが起こってると気付けた。
 
 
かつては自分の国の、主要メディアのフィルター越しに見てたような出来事も、今では直接見ることができる。
 
 
「Today Paris is the capital in the world」とか「We'll march together for our value 」とか。同じフレーズが何度も表示されてた。World Readers という言葉も。この映像を見た人は、この行進に参加した人こそWorld Readersと思っちゃうよね。
 
 
政治よりサッカーの試合結果の方が気になるような人まで巻き混んでの大行進。フランスがW杯に優勝した時よりも多い人出。肌の色もさまざまなら宗教も様々だった。
 
 
古いヨーロッパは寛容・共存・団結をかかげ、世界最古の民主主義は、中身を刷新した古いヨーロッパにあり。そう新しい国に向かって宣言してるようだった。
 
 
破壊するためじゃなく、守るために。
 
 
「古いヨーロッパ」「新しいヨーロッパ」は、9・11の後に飛びかった言葉。
 
 
戦端を開きたいアメリカと、戦いたくない欧州と。その結着は国連というある種クローズドな場所に持ち込まれた結果、「新しい国だけど最古の民主主義国家」の主張に押し切られた。
 
 
当時はテレビでも公開された映像で、少し前まではyoutubeでも見られたはずなんだけど、今は探すのが難しい。外交を舞台とした丁々発止のやりとりは、どんなフィクションよりも見応えがあった。
 
 
今 回の「UNITY MARCH」でも、各国のリーダーの行進を、高層ビルの一角からSWAT(狙撃兵?)が護衛する姿つきだった。そんな狙撃兵に大喝采が巻き起こったり、黒 人の機動隊とハグを交わすヨーロピアンな人の姿が映し出されたり。ノンフィクション、事実がこれだけ圧倒的だと物語の力も吹っ飛んで、想像力も枯れそう。
 
 
サブリミナルかと思うようなフレーズを何度も流しながら、それでも一般人のインタビューも挟み、一方向への大きな流れを作らないよう工夫もこらされていた。「自分の頭で考える」余地を残していて、そこはフェアだと思った。
 
 
生活を壊されたくない人が、破滅に繋がる道にしか居場所をみつけられなかった人に同情も寄せつつ、暴力行為にはNoと言っていた。
 
 
地理的にも地続きな場所で、排除は現実的じゃないから。
何に対してYesを掲げ、そこに集ったのか。そこは人それぞれで、シャルリに対してダメ出ししてる人も、暴力行為にはNoを掲げてた。
 
Yesは一緒じゃないけど、Noは一緒。
 
 
シーソーゲームをしてるような今のセンシティブな時代にふさわしい、より穏健な表現で世の中を動かしていく。そうした始まったばかりの壮大な実験を、オープンな場で目撃してる。そう思う映像だった。仕掛け人がいないと、短期間で大規模な行進を、整然と成功させるのは至難の業だから。
 
 

 公開当時はあざとさを感じて敬遠していた、『最強のふたり』が見たくなった。

 

こっちも久しぶりに読み返してみた。

新しいヨーロッパ古いアメリカ

新しいヨーロッパ古いアメリカ