クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

タテとヨコとナナメ

12月並みの寒さも一旦峠を越えたみたい。今日はモコモコ着込んで出掛けなくても大丈夫だった。良かった。あんまり寒さが厳しいと、おしゃれとか吹っ飛んじゃって、スキー場仕様になるんだよね。

 

お子さんが保育園に通う知り合いのママさんから、最近の(というより彼女のお子さんが通う、だけど)保育園事情聞くと、へぇー最近はそうなのねーって思うことがある。

 

幼稚園と違って保育園の方が、預かってるお子さんの年齢さまざまなんだよね。で、かけっこみたいに運動する時には同年齢の集団で遊ばせる。体格差がハンディになるからね。そんで、工作とかごっこ遊び?みたいな時には、違う年齢の子達でチーム組ませて、大きい子が小さい子の面倒見るシステムになってるんだって。

 

幼稚園も保育園も、クマ組とかリス組とか、なんか可愛らしい名前付いちゃってるじゃん?動物の名前が付いたチームは同年齢で遊ぶとき、フルーツの名前付いたチームで遊ぶときは、異なる年齢の子が混じって遊ぶとき。そんな風に異なる2つのチームに属しながら、「自分達とは違う存在」意識して、そんな子とも上手に遊べるよう仕向けてるんだって。

 

「近所の子供と遊ぼうとしても、今近所に子供いるとは限りませんからねー」「子供の頃は、近所のお兄さんお姉さんと遊んでたんですけどねー」

 

って、その場にいた昭和の時代に子供だった世代は、あらー今は色々変わっちゃったのねーって感想。異世代との交流あんまり無かった世代は、ふーん何だそれーって顔して聞いてた。

 

教育ってこんな風に変わっていくんだなーって思った。

 

「同じ」だけで固まらず、大きい子が小さい子の面倒を見る、言い換えれば「出来る子」が「出来ない子」の面倒を見ることが自然。そんな態度が当たり前に身に付いた子が、大きくなって社会に出てくる未来も、そんなに遠くないのよね。

 

日本だけ見れば子供の数減ってるし、数少ないだけに、「自分と違う他者」と関わる機会は絶対に増えるんだから、サバイバル術としてコミュニケーション力磨かせるのは、当然っちゃ当然だよね。

 

自分達はそんなサバイバル術習わなかった。そう言ったところで、後世代の人にとって当たり前のことが当たり前じゃなかった時代って、きっと想像しにくいから理解され難い。

 

出来なかった子が出来る子になって、出来なかった子を出来るようにしていく。そんなループが当たり前になったら、出来ないままも、そのループに加われないのも、肩身狭くなりそう。

 

夕方お腹空き過ぎてて、その勢いのままタコ焼きお腹いっぱいになるまで食べて。お腹いっぱいになったら、眠気に襲われ寝オチして。今も眠い。後一日がんばれば週末。がんばろっと。

 

お休みなさーい。