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クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』見てきた

映画 レビュー

生前は一枚の写真も公表せず、時代に早過ぎ時代に埋もれたままだった。とある女性写真家の発掘を追ったドキュメンタリー作品、『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』を見てきた。

その才能は謎の扉の奥に。彼女の作品が発表されていたら、20世紀の写真史は変わっていたかもしれない。そのミステリアスな生涯と、発見に至るまでを描いた奇跡のドキュメンタリー。(映画公式サイトより引用)

埋もれたままだった驚異の才能。発掘できて万歳!!!なポジティブさ全開な映画かと思っていたら、もっと複雑かつ奥行のある内容だった。埋もれた芸術家を見出した男性の、シンデレラストーリーでもあった。


映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』予告編 - YouTube

作品と芸術家その人の人間性とは、切り離して評価したいと思うタイプだけど、ヴィヴィアン・マイヤー本人の生涯と、彼女が残した作品と。見れば見るほど、何とも言えない気持ちになった。ストリートで見掛けた人や旅行先の風景も、彼女の手にかかるとストーリーのある写真に変わる。写真展や写真集があれば、見てみたい。テーマの選び方や切り取り方が面白い。

Vivian Maier: Street Photographer

Vivian Maier: Street Photographer

 

 彼女のように正規の写真教育(そんなものあったのか?)を受けたこともなく、持たざる人、映画の中の言葉を借りれば貧困層に属する乳母の撮った写真。1970~80年代に彼女が評価されていたら、芸術写真の評価システムももっと民主的なものに変っていたかもしれない。写真史を塗り替える出来事だったかもしれないというコピーは、多分大げさじゃない。

 

カメラというツールが、庶民以下の人でもじゅうぶん手に入るようになった頃(ヴィヴィアンが持ってるカメラがまたアンティークでカッコいいんだな、これが)。写真を撮る行為そのものは、すでに珍しいものではなくなっていた。ヴィヴィアンがちょっと変わっていたのは、ストリートに出て職業写真家のような写真を撮っていたこと。当時は家族の肖像や記念写真以外の写真を撮る人は珍しかったから。

 

カメラというツールもあり、乳母で生涯独身だったから、自由になる時間もたっぷりあった。ツールも時間もあったから、好奇心の赴くままに好きなことにのめり込み、のめり込んだから匠の領域にまで習熟した人。

 

ヴィヴィアンが生きた時代にブログがあれば、インスタグラムがあれば、フリッカーがあれば。同好の士が集まるSNSコミュニティの中で、もっと外向きに生きられ経済的にも恵まれていたかもしれないのに。時代に早過ぎてそうはならなかったから、何とも言えない気持ちになる。

 

ツールが進化してかつての高級品がありふれたものとなり、参入障壁が低くなれば、正規の教育を受けた人以外も界隈に出没するようになる。

 

参入障壁が低くなれば、大衆は自分達に近い人を贔屓にしがち。大衆に近いぽっと出の人が評価されるようになれば、業界のヒエラルキーをひっくり返すことにもなりかねない。今も昔もアートの業界近くに生息する人は、ぽっと出でてっぺんに登りつめるような人がお嫌い。一方大衆は「アメリカンアイドル」のような、ぽっと出のシンデレラストーリーが大好き。

 

アート業界の人はヴィヴィアンのような出自の人を、フォロワーあるいは助手のような立場で芸術家を下支えする立場なら許すけど、自分たちと同列の存在としては認めないし許さない。許す人は、アートそのものの世界が広がることを歓迎する、先見性ある人に限られる。

 

家族との縁が薄かったヴィヴィアンは、同時代の女性が家族に寄せていた関心を社会に寄せる。彼女が残したジャーナリスティックな写真には、大量の新聞を読むことで培った、社会に寄せる関心がモロに出てた。

 

家族に代表される、プライベートが薄い人の関心が社会に向かうのは、言ってみれば必然で、社会への関心が高い人が撮った写真だから、ある時代の貴重な証言にもなっている。好きでのめり込む人にやらせた方が、質が高いもの出来上がってくるよね。。と実感する。

 

彼女が興味深いところは、写真に対して我が子のような愛情を注ぎながら、その被写体となった対象への愛は薄かったこと。彼女が生きた時代であれば社会運動もそれなりに盛んで、その種の人たちとの交流もあってよさそうなところ、その気はまったくなかったよう。

 

「救われる」側により近いヴィヴィアンだったから、「救おうとする」側に見え隠れする欺瞞に素早く気付いて嫌気がさしたのか。「救われる」側にいる弱者の誇張された姿がイヤだったのか、その辺りは永遠の謎。彼女はとても観察力に優れた人だったから、 幸か不幸か”熱”に浮かされることもなかったのか。

 

その手の社会運動家と人的交流があれば、何かと盛り立ててもらえたかもしれなかったのに、そうはしなかった人だから、ますます興味深い。ほんとに写真にしか興味なかったんだね。。

 

どんな業界でも参入障壁が低くなり、貫いた好きが仕事につながる現在は、限りなく民主的になりつつある世界。参入障壁が低くなってピンからキリまで格差が広がると、てっぺんに位置する人の取り分だけが極大化していく。

 

絵画の世界のお話だけど、ピカソモディリアーニといった巨匠の作品が、続々と過去最高の落札額を記録している。日曜画家なのに玄人はだしの人もいっぱい。参入障壁が低くなってピンからキリまで格差が広がると、てっぺんに位置する人の取り分だけが極大化していく現象を裏付けるようで、興味深く見てる。

 

ヴィヴィアンのような埋もれたアーティストの発掘は、同じくヴィヴィアンタイプに属する、同じように埋もれていた人の価値を押し上げる効果がある。ヴィヴィアンタイプが評価されるようになると、ヴィヴィアンタイプの市場ができ、てっぺんだけが極大化する現象のストッパーになるのかも。

 

ヴィヴィアンを世に出した青年、ジョン・マルーフの生き方も興味深かった。仕事に必要な資料としてオークションで競り落とし、その価値に気付いたマルーフが、何とかヴィヴィアンに正当な評価を与えようと奮闘する。その姿こそ、キュレーターの名に相応しいもの。キュレーションは他人の価値の後追いではなく、自分の信じた価値を貫くことでもあると教えてくれる。

 

ヴィヴィアンとマルーフと。同じく好きを貫くふたりの生き方が、まったく対照的な軌跡を描いていくところがまた興味深い。ヴィヴィアン単体の生き様+マルーフというキュレーターが加わることで、映画がより重層的で面白くなってた。

 

とっても面白かった。シアターキノにて鑑賞、12月4日(金)まで上映予定。

 

お休みなさーい。