新年。普段は年号を使うことも意識することもない(西暦で生きている)から、令和ももう五年かと思うと時の早さにびっくりする。
お節料理の作り方を教えてくれる本はいくつもあるけれど。まずはお節を保存するための容器を用意しようと教えてくれる本は、初心者に優しくて親切。十分な数の保存容器を用意したつもりでも大晦日の夜にはやっぱり足りなくなって、容器になりそうなものはないかと探してたから。
誰かやどこかから引き継いでいたら入り用なものは大体揃っているはずだから、新しく道具をそろえる必要なんかない。道具を揃えるところからスタートした人が教える側に回るから初心者に親切で、段取りも論理的。
何かを始めて学ぶ時には、必要となる道具についても親切な説明あるいは解説があると、初心者向けのガイドとしてお役立ちだと思えば大体間違いない。
必ず必要となる道具についてすっ飛ばしてるようだと、初心者向けの顔して初心者が手に取りやすい場所に並んでいたとしても、初心者向けでは決してなくマウンティング的。眺めるだけだったら、それでもいいんだけど。実際に何かを始めたい時にはやっぱり、必要な道具についても親切だと学ぶハードルも下がりやすい。
必要となる道具が少なければ少ないほど、裾野は広くなる。道具が揃わないとそもそも始められないものは、裾野が広いように見えても意外と狭く、狭い裾野に合わせて参入障壁を高くしているのかも。かもかも。
道具が揃わないとそもそも始められないものを、引き継ぎなしで一から始めて道具を揃えていった人はだから道具についてもシビアで、前例にとらわれずに使い勝手のいいものを求めるから道具も進化する。
引継ぎなしで道具から揃えていって、道具を進化させられる人(こんなの作ってというオーダーに応えてくれる人がいる、ちゃんと費用の負担もする)はだから大体成功者で、社会的成功度に応じて口にするものも進化させていくからそうなるんだと思う。
そう考えると道具の進化には新規参入者が必要で、新規参入者の数が多くなるほどに道具の進化や変化も著しくなって、最初期の道具とは似ても似つかないものになるのかも。
味覚は保守で、美食に向かうなら守るべきものが増えるから保守的となって、守るべきものがないままだと粗食に向かいがち。そういう傾向も、あるのかもしれない。
社会的成功者や社会的成功が約束された人はだから、本人の嗜好とは関係なく往々にしてラグジュアリーなライフスタイルを披露させられるのかも。
月に見立てたマカロンとウサギ。マカロンは黄色いものを選んでココアパウダーで山並みでも描くと、よりソレっぽくなるはず。
お正月や何かのイベント用に合わせて新しく買ったお皿は、盛り付けの自由度が高くて楽しかった。そして楽しいという経験は学ぶスピードを勝手に加速させるから、学ぶ場に楽しいを散りばめるのは学ぶスピードを加速させるため。苦しいや辛いを散りばめるのは、学ぶスピードを減速させるためなんだろう。