クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

食べるから動く

おせちに使う黒豆は、甘く煮るのに飽きたらフライパンで炒って(量にもよるけど弱火~中火で10分~15分くらい?)炒り豆にして、炊き込みご飯にすると目先が変わって美味しく食べられる。

 

炊き込むとき、ついでにソーセージやベーコンを入れるとピラフ風。あとは残り物の野菜でサラダやスープを作って添えれば、残り物とはいえバランスのいい一食の出来上がり。

 

黒豆・栗きんとん・ごまめ。とりあえずこの3種さえあれば、お正月っぽい。

 

お節の肝心なところは、豪華であればあるほどいいけれど、保存がきくことが一番大事。3日でも一週間でも食べられる、調理済み食品の詰め合わせでパッケージ。それが本来のお節料理。


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数の子の塩抜きを忘れていたので、初日は数の子抜き。二日目になるとかまぼこをバラに飾る余裕も、お煮しめに椎茸やこんにゃくも忘れずに盛れた。牡蠣は忘れなかったけれど、冷凍庫にストックしておいた帆立の山椒煮は出し忘れて今でも冷凍庫のなか。多分、家庭で起こりがちなことは、業務上でも起こりがちなはず)

 

だから、コンビニやスーパーもなければ予約せずに使える飲食店もない、僻地ほどこの種の食べ物は必需品で重宝されて、有難味が増す。

 

そもそも交易の場が限られている。流通網の整備もさほど進んでいない場所から、自家消費用の物資、自家消費用の生産地や生産手段さえ消えたらやっていけない。だからゴーストタウンが生まれて、生きてる人は移動する。

 

2024年は2023年に引き続き、今まで行ったこともない所へ行き、使ったことのない交通手段を使ってウロウロしてた。

 

私鉄や地下鉄などなく、JRしかない。車での移動が正解の場所で、敢えて正解以外の手段を選ぶと、公共交通の本来の意味がよくわかった気がする。

 

意味があるから、細々でも続いている。意味がなくなったら続かない。

 

国際化の兆候は、まずは観光客から。それまで日本人しか来なかった場所に、日本人ではない人が混じるようになり、日本人しか来ないから日本人向けの商品しか並んでなかったお店に、日本人ではない人向けの商品が混じるようになる。

 

食品は、その変化がわかりやすいもののひとつ。元々は外国由来で日本にも定着したものは、安価で作りやすいレシピが普及すれば、外で買うものから家で作るものとなる。本格的なものから素朴なものまで。パンもケーキも家で作るようになると、各家庭で小麦粉がストックされるようになる。

 

パンやケーキ以外にも麺や点心、使い道はいろいろあるけれど。

 

普及品を使って自分で作ったものと、その辺のスーパーやコンビニで手軽に手に入るものとの価格や完成度を比べた時。完成度が高く、値段の桁に10/1や100/1ほどの開きがあれば、街中でいつでも手に入って買えるものほどグローバル。そもそも生産量も消費量も、桁が違うものなんだとわかる。

 

だからローカル、その国やその土地由来の食べ物、お菓子や保存食などの加工品だけでなく、野菜や魚、肉に至るまでその調理法を含めて常にグローバル、国際競争に晒されているといっていいはず。

 

公共交通といえばJRの、1時間に数本あるいは1本来るかどうかで、駅へといたるバスさえない。そういうローカル線の姿が、グローバル競争に晒される、というか脅かされているローカルフードの現在の姿に重なった。

 

ローカルな食べ物、名物と言ったって、てんてんてんで、人が住んでいないわけではない地方都市、誰でも知ってる量販店ばかりが目立つその土地は、地方=ローカルに在ってローカルなものを必要としない、そういう場所なんだと思った。

 

日本人が来なかった観光地に、日本人以外の外国人も大挙して押し寄せるようになったとき。例えば京都、例えば浅草。その地に最もふさわしくないお店が、目立つ場所に出現することがあるけれど。

 

観光地という、土地の性格が濃縮された姿で、その土地に最もふさわしくないけれど目立つ。目立つから一定の集客効果があって、他の似たような建物と間違えることなくたどりつける。ローカルなものと一切関わりなどないけれど、観光地をエンジンとして使いたい時に出現する姿で形なんだと思えば納得しやすい。

 

ローカルなものと一切関わりがない時に出現する姿、時にえげつない見た目は、ローカルとの縁ができたり、ローカルとの関わりが深くなるほどにマイルドになっていき、最後はその土地ともよく馴染んで親和性のある姿に変わっていく。そういう性格のものでもあるんだと思う。

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観光地の目立つ場所が変わっていく。その一方で、観光とは無縁の地方都市も変化がないようでいて変わり、例えばローカルな土地にあってローカルなものなど必要としなかった。そんな土地やお店にローカル由来のものが増え、あるいは名物ができて、名物などなかった以前の土地の姿はもとより、それ以前の姿など誰も思い出せない。てん、てん、てん。

 

となった時から、新しい何らかの名物とともに新しい歴史を歩み始め、久しぶり、何十年ぶりというサイクルで帰ってきた、あるいは訪れた人を戸惑わせる。

 

そういう光景が、静かにいろんな場所で進行していく。そんな気がした。

 

100年前や50年前の歴史は残りやすいけれど、30年くらいの浅い歴史は残りにくくて改ざんされていく。土地という器が残され、人がいなくなったあと。新しい人がやって来たら、新しい何かを注ぎ始める。そんなイメージ。


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(年末、2024年の12月29日は雪景色)

お正月は、とにかく天気がよかった。時々雪が散らついたけれど、今年のお正月を振り返ったとき、思い出すのは青空。気持ちよく晴れた青い空が広がっていた。


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見送りに行った空港も、よく晴れていた。お正月とあって小さなお子様連れいっぱい。雪は降ったけれど、肝心な時にはちゃんと止む。小さなお子様連れに優しい神様、今年のお正月は北海道だったみたい。