クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

引継ぎ不可

本当なら新学期で新年度。

 

だったけど、今年はスロースターターになっちゃったから、ビギナーのトレーニング期間もたっぷりとれるはず。いつもの新学期や新年度に比べたら人出も人混みも激減したから、新しい環境に新しい役目とすべてが一新する側にとっては例年よりきっと優しいスタート。

 

優しい人が設計すると優しい仕組みが出来上がり、冷たい人や厳しい人が設計すると冷たくて厳しい仕組みが出来上がる。

 

喜怒哀楽といった、感情に強く訴えてくるものは感情をより強く揺さぶるもの。

 

でも、いつもいつも、例えば何十年も怒って哀しんでいるのは同じものだったら、それは単にアピール上手なだけ。アピールが上手でも、そこでアピールしている怒りや哀しみは借り物で、しょせん借り物でよそ事だから、長きに渡って怒り続けるあるいは怒ってたり哀しんでるようなフリが上手にできるだけ。

 

怒髪が天を衝くほど本当に怒っていたら、そんなに長続きするわけないじゃん。

 

当事者がとっくに昇華したネガティブな感情を、今さらかつことさら刺激してもっと怒れあるいは哀しめとけしかけにくるようなら要注意。局所的に人手不足は解消されつつあるらしいけど、職種によってきっと隔たりはある。人手不足は解消されつつあっても、後継者不足はまた別で、後継者難に悩んでいるところは絶賛今でも状況は変わらないはず。

 

ネガティブな感情を糧に大きくなってきた。あるいは、高く遠くへ飛んできた。その種のものは雇用の調整弁にはもってこいで、もってこいだけあって一時的には誰でもできるけれど、長くは続けられない。だって、四六時中ネガティブな感情と一緒なんてたまんない。

 

たまんないから、後継者には事欠かない状況や次々に後継者が現れる状況はちょっと想像しにくい。

 

お世話になった、あるいは迷惑をかけられたという個人的な感情は、何しろ個人のものだから引き継げない。特定個人や組織の持つネガティブやポジティブな感情を、ことさらあるいは今さら刺激するのは、本来引き継げないはずの感情を引き継がせようとしてるからだと勝手に思ってる。

 

動物愛護法ができて若干状況は変わったかもしれないけど、犬や猫、捨てる人はいつも一緒で、捨てない人は捨てない。

 

大きくなるためのエンジンとした、あるいはおかげで高く遠くへ飛べましたというネガティブな何かも、捨てる側はいつも同じで、捨てない人は捨てないのもきっと一緒。ついでに、ポジティブな何かはポジティブである限り、いつまでも手許に置いておくから、遠慮なくネガティブな何かが捨てられる。

 

引き継げないものは、引き受けない。引継ぎ不可と判断して引き継げないようにするのは、いつもいつも勝手に捨てられていくのを見ていた方。その場合、いつもいつも勝手に捨てていく方のことなんか、知らんがな。という仕組みになるのは、当たり前っちゃ当たり前。