クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

知らんがな

さらしきってない生のタマネギを食べると、近頃はキモチワルイ。軽く頭痛と吐き気がし、気持ち悪さに耐えること数時間。気を紛らわすために眺めるのは、美味しそうな食べ物がたくさん載った何か。

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これは雨が降る前。このあと雨が降る。

レシピだったり、スイーツランキングだったり。

 

まともに頭使って考える、思考力を要する小難しい本なんかは、体調が悪い時には内容が頭に入ってこない。気晴らしとはよく言ったもので、レシピやスイーツランキングは、気晴らしにぴったり。今だったら“ままどおる”、それもチョコ味が食べたいやね。食べたことないから。

 

今年のアカデミー賞の授賞式中継は視聴率がイマイチだったと聞いたけれど、真偽は知らね。あんまり楽しみにしてなかったのも確か。

 

Me Tooムーブメントのせいで、真っ黒のドレスばかりになるかと思うとセレブウォッチングにも気が乗らず。今年はアメリカ中間選挙の年だから、受賞者その他のどんなスピーチも政治的アピール臭がしそうで、まともに聞く気にもなれず。

 

政治臭が過度に漂うようになると、一年に一度の映画の祭典をただ楽しみたい派としては、関心も急降下。政治”ショー”には、興味関心が薄いんだ。

 

日本だって今年は自民党総裁選の年で、選挙戦ではお金が動いて広告代理店も動くから、ステマと同じく知らぬ間に「作為的に拡散された不適切な情報」に触れる恐れがあって、ステマに利用される恐れさえあるから、知らんがな。

 

ステマ嫌いとしては、「一見これは一般市民の素朴な意見っぽく見えますが、実はスポンサーの意向を受けての政治的発言です」マークくらい欲しいところ。

 

どうせお金使うなら、記事広告としてちゃんと広告枠買ってアピールすればいいと思うけれど、オープンな場所でも臆せず出てこれる人は限られるから、きっとそっち方向には行かなさそう。

 

ヘイトを容認拡散するのも国民感情の一部だから、マイナスの国民感情に配慮する政治家だったら要らない。ヘイトを容認拡散したい国民感情を理解する政治家を欲する限り、“自分達の器以上のリーダー”は決して持てない。だから、マイナスの国民感情に対しては政治的にきっぱり引導渡して欲しい。

 

という面倒くさげなことを思いついたのは、『砂のように眠る むかし「戦後」という時代があった』という古い本を引っ張り出したから。

 

雪が降ったあとに雨が降り、足元が悪くて外出意欲も削がれまくりだから、インドアに過ごした一日。札幌はさほどでもないけれど、記録的な大雨で雪解け水が洪水に変わり、テレビのニュースでは終始警報が流れていた。

 

『砂のように眠る~』は、1997年の時点から戦後の昭和を振り返ったもの。ざっくりいえば熱狂のあと、宴のあとを振り返っている。フィクションとノンフィクションが交互に現れる趣向で、戦後の象徴的な出来事、浅間山荘事件や田中角栄のネガティブな面を取り沙汰している。

 

同時代の熱狂の中ではかき消されてしまう意見も、熱狂の去ったあとだと書き残しやすいのか。書き残された「個人の意見」がどこまで時の試練に耐えるかはまた別モノだけど、同時代の熱狂を醒めた目で分析した、とはいえ事実の羅列ではない感情込みで記述されてるから、何度も読み返せる。

 

事実の羅列だけでは退屈で、感情の奔流をただ受け止めるのも荷が重い。感情の抑制がほどよく効いていて、こんな風に歴史を記述する方法もあるのかと目からウロコが落ちる。

 

死んだら仏様は、日本以外にも仏教信仰とリンクした東洋ではどこでも見られるものなのか。

 

本人には訂正することもできない、事実とはかけ離れた悪評や風評被害が出回り過ぎて生きるのさえ辛くなった人に、死んだら仏様になれてもう悪口は聞こえてこないよという悪魔の囁きは、甘美に聞こえることもある。

 

事実とはかけ離れた悪評や風評被害をまき散らすことにメリットがある方に、やめろと言っても抑止力はないから、そこはやっぱり「死んだら仏様?ナニソレ?」という文化をぶつけて封じ込めるくらいしか、思いつかないよな。

 

お休みなさーい。