クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

マレビト

余剰だとわかりつつやってる側はものわかりがいい一方で、余剰だと認めたくない側はものわかりが悪くなる。

 

リッチな気分を存分に味わえる贅沢品が、手の届きそうなところにあったのなら、金は天下の回りものだから経済を回すために、誰かがわざとそうしてたのさ。

 

マレビトを歓迎する環境かどうかは、マレビトをどう捉えているかで丸わかり。残された肖像画ではことさら醜く描かれている偉人が、本当は描かれた通りの見た目かどうかは怪しいもの。同時代には嫌われる出自ながら偉人にまで出世した場合は、同時代には表立って非難することができなかった鬱憤を込めて、実際以上に醜く描かれがちだから。

 

マレビトを迎え入れる側にはすでに強固な社会階層ができあがっていたら、マレビトはなにしろ稀だから、入るスキマを見つけるのにも苦労する。スキマがないからてっぺん獲った。という成り上がりは、何しろ成り上がりだから下からの支持は厚くても上からの支持は得にくいもの。

 

上、支配階層の支持が薄かったら、スキマがないからてっぺん獲った偉人その人がいくら偉大で能力的に優れていても、率いる組織は組織として強くなれない。支配階層で支持が広がらなかった証拠のひとつが、後世にまで残されたことさら醜く描かれた肖像画。気に喰わない出自のマレビトに率いられるのは真っ平とばかりに面従腹背がまかり通っていたら、規律ある組織なんて維持できないし、できっこない。

 

スキマがないからてっぺん獲った偉人その人がいくら偉大で能力が高くても、マレビトはやっぱり稀にしか登場しないから、マレビトに率いられた組織は短命に終わりがち。あるいは、偉人その人がいなくなった後は組織も傾くものなのかも。

 

肖像画以外でも、例えばマレビトにどのような名付けをするかにも、マレビトをどう扱う環境かが丸わかり。漢字圏だったら、どのような漢字を与えるかにすっかり現れている。例えば、雅さなんて感じようもない夷狄とか。

 

とはいえ見下した気持ちを込めて呼んでみた相手が、稀とはいえ集団、それも民族だったらまた話は別。

 

稀に到来する相手とはいえ、相手が集団で民族だったら、彼らはすでに彼ら固有の支配階層も備えていれば、統治の手順も備わっている。単体で出現する不世出のマレビトに比べれば、その稀さ加減はグンと落ちるとはいえ、集団は集団。いちから組織を作らなければならない不世出のマレビトに比べたら、強い組織を作る上ではずっと有利。

 

不世出なマレビトは、どれほど尽くしてもその出自を理由に正当な評価を与えない出身地よりも、出自を問わずに正当な評価を与えてくれる、出身地とは遠く離れた場所をめざすようにできている。

 

マレビトがいなくても回る強固な組織では新しいことはできないから、我こそはマレビトなりと思う人材の流出が続くと強固なはずの組織もガタガタになって、マレビトを進んで迎え入れてきた新興との逆転も起きるのかも。かもかも。

 

悪いことは何でもみーんな、外から来たマレビトのせいにして乗り切ってきた。かっちんこっちんに石頭な組織がマレビトを喜んで迎え入れた時は、やっぱり悪いことは何でもみーんなマレビトのせいにして押し付けるためにわざと招き入れた。くらいに思っておくと、余計なことにも面倒なことにも巻き込まれない。

 

旧悪は、マレビトのせいにできない状態になるとすっかり露わになるもんさ。