クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ホワイトじゃないクリスマス

ホワイトじゃないクリスマスは、北海道に来て以来初めてかも。珍しー。

 

地面の上は雪解けが遅いので白いけど、地面以外の道にはほぼほぼ雪がない。そういや今年は除雪車が稼働する音もあんまり聞こえてこないから、除雪車が活躍するまでもないんだろう。毎年除雪費用には莫大なコストがかかってるらしいので、予算が浮いてよかったねとなるのか、それともすでにきつきつでカツカツだから、天の助けになったのか。

 

いずれにしても雪のない札幌の冬は、映えないったらありゃしない。

 

雪という自然からの贈り物のおかげで、なんでもない景色もドラマチックでロマンチックに見えて、情緒があったんだけどさ。

 

クリスマスにサンタクロースが来て、クリスマスツリーの下の靴下にプレゼントを入れて、家族でケーキを食べる。という商業化されまくったクリスマスの景色が、日本のクリスマスの原風景。

 

ケーキは家族で食べるものだから、果物やキャンドルその他で賑やかに飾り付けたショートケーキ系やチョコクリームのケーキで、ちょっと子供っぽい。アイスクリームのケーキも昔っからあったけど、考えてみればあれも子供向け。子供の味覚や嗜好に合わせてた。

 

セントニクラウスがサンタクロースになって、旧大陸ヨーロッパから新大陸のアメリカに渡ってアジアにやってきた。サンタクロースとともにアジアにやってきたクリスマスの祝い方は、だからアメリカ経由でアメリカの影響を受けまくり。

 

25日にマーケットが休場する国は、どこもクリスマスを祝う国。天皇誕生日みたいなものやね。

 

結構広範囲にわたってマーケットが休場しているけど、その祝い方はその国それぞれで、サンタクロースや靴下、あるいはケーキというクリスマスに必須のアイテムも、国や地方やあるいは宗派によってきっと違う。

 

日本でいえばお正月にはお雑煮を食べるけど、その中身は地方色豊かなのと相似形で、お正月の祝い菓子として食べるお菓子にも地方色があるように、その中身もほんとは多彩なはず。

 

どこもかしこも同じものを同じ時期に食べるようになったら、そりゃ大量生産できて大量供給できるところが儲かりそうではあるんだけど。どこも一緒になったらつまらなくて、例えば転勤の多い人だと、どの土地に赴任しても結局文化的には代わり映えしなかったら、文化に楽しみを見出すより別のものに楽しみを見出す。だから、全国一律あるいは全世界一律で何かの規格を統一することは、文化を殺すことに等しい行為。

 

文化から得るものは何もなかった。

 

脳内へぇボタンが押されるような経験もなく。夢中になれるような楽しみもなく。ポジティブな何かを受け取るよりももっと早く大量に、ネガティブなものしか受け取ってこなかったら、文化が嫌いになってもしょうがない。

f:id:waltham70:20131224211836j:plain

むかーし作った、いちごのサンタ。今年のいちご、おもちゃにするには高過ぎた。

簡単な会話を含めれば、五か国語が話せるという人に会ったことがある。中にはマイナー言語も含まれてたけど。語学上達の秘訣を聞いたら、それぞれの言語の体系がつかめたら、あとは類推可能で簡単なんだと言っていた。

 

何かの学習速度が異様に早い人は、闇雲に知識を詰め込むのではなく、体系をつかみにいってるんだと思ってる。その種の人や人に代わるものに高速で体系を学習して押さえられたら、一本化されるまではあとほんの少し。

 

似たものはまとめて一つにしていけば、交通整理がはかどってしょうがない。

 

整理されて大きな通りとなれば、小回りが効かずに図体ばっかり大きくなったものでも、障害物を気にせず高速で走り抜けるのも容易になりそうで、小回りや小技ばっかり得意で決して急いだりしない何かにとっての脅威やね。