クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

どっちでしょう

道具、システムやツールが優れていたのか。それとも、システムやツールを使いこなしていた人が優れていたのか。

 

コレとソレ。意外なもの同士を組み合わせた時、いまだかつて誰も見たことがない景色を生み出せた人は、優れた道具を優れた人が使いこなした例。優れたツールを優れてるはずの人が使っても夢マボロシで計画倒れに終わったら、大ボラ吹きと呼ばれるけどね。

 

老舗と呼ばれるようなお店は血統主義ではなく、ドラ息子に家を継がせるよりも娘に優秀な婿を取って、お店を守ってきた。あるいは、血縁ではない他人を養子として迎えてきた。というエピソードは、時代劇や時代ものではよく見かける。では、よく見かけるのはフィクション上の都合なのかそれとも根拠があるのか。

 

残された資料、それも当時としてもきっと楽しいお仕事ではなかったに違いない、退屈な数字が並ぶ資料から、かつての江戸の街の賑わい、主に商家を分析した本を読んだ。

 

本の趣旨としては、千人にひとりのレアケースである大商人を、江戸時代の商家代表として扱っていては、往時の姿を見誤るという問題意識から書かれている。趣旨とは別に、思いついたのはクリント・イーストウッド主演のグラン・トリノ

 

クリント・イーストウッド演じるおじいちゃんは、最後に自身の大事な遺産である名車グラン・トリノを、迫害され虐待された姉弟に贈る。血縁である孫娘はグラン・トリノに興味を示していたけれど、孫娘ではなく他人、ついでに移民でもある姉弟に往年の名車は譲られた。

 

江戸の商家は、商売あるいはお店の存続のため、時に他人を迎え入れてきた。老舗と呼ばれるお店がどこも商売繁盛だったとは限らない。流行ってるわけではないけど長く営業を続けてきたお店もあり、業種や業態が存続のカギでもあった。

 

フォードは、T型フォードの量産でイノベーションを起こした会社。ということくらいしか知らないんだけどさ。その程度の知識でぼんやり理解してるのは、T型フォードの成功でフォードが体現したのは、自動車を作ってる人が自動車を買える世界。

 

買いやすい価格の車を量産することで、量産する側の人たちも車を持つことができ、家が買えて家族を養えた。それに足る賃金をもらっていたということで、グラン・トリノクリント・イーストウッドが演じていたおじいちゃんが、まさにそんな人。

 

ただ、フォードのような私企業、それも歴史に名を残すような大企業が“利益は大衆に”還元することに熱心だったから、結果としてアメリカでは公的サービスが充実することはなかったと言えるのかも。

 

真面目に長年働いてきたグラン・トリノのおじいちゃんが住む地域は荒廃し、息子や孫世代とは話が合わず、おまけに隣人は迫害された移民で、国際政治失敗のツケが一市民に付け回されている。

 

それ全部一個人で何とかしろって言うのか???

 

と、文句のひとつやふたつあるいはもっと言いたくなるような状態で迎える晩年は、決して恵まれているとはいえない。

 

私企業が、利益は大衆に還元と言った場合に想定する大衆は、若き日のグラン・トリノのおじいちゃん。つまり、よき企業人でよき家庭人でよき隣人で、公共サービスの受益者である大衆よりも、ずっと狭い。公共サービスの受益者あるいは利用者は、地域に住んでいるか否か、あるいは年齢など一定の要件を満たせばよく、そこに「よき悪き」はあんまり関係ない。

 

利益は大衆に還元と言いながら、結局は“よき買い手となる大衆”にしか還元してこなかったら、公共サービスは育ち損なう。その結果、よき買い手ではなくなったグラン・トリノのおじいちゃんは充実しない公的サービスの中、個人で何とかしようと奮闘し、その遺産である名車グラン・トリノを迫害され虐待された姉弟に遺すことにする。

 

名車グラン・トリノは名車ではあるけれど、グラン・トリノのようなクラッシックカーが売れ筋ナンバーワンとなることは最早ありえない。最早ありえないけれど、日用品としてではなく美術品や骨董品として、一定の需要はある。

 

百点満点ではないにしろ、かつてはよき企業人でよき家庭人でよき隣人であったような、でも今はよき買い手ではなくなったために、私的サービスからは遠く公的サービスからも遠いような人にも思いを馳せる、文化的精神的な遺産をおじいちゃんは他人に渡した。

 

迫害された少数民族姉弟にとっての大衆は、私企業や大企業よりもずっと狭くなる。ずっと狭くなるけれど、狭くなった彼ら姉弟にとっての大衆のなかには、グラン・トリノのおじいちゃんのような存在はより大きくなるから、文化的精神的な遺産を残す相手としてぴったりだった。

 

足りてないものには一定の需要があり、一定の需要があるから商売あるいはお店が長く続くもの。

 

とはいえ、足りてないけれどコンビニのように普及することは絶対にない、普及すると困るから供給が一定以下に抑えられている業態もある。例えばアジールのような場所。

 

アジールのような場所があると知っていれば、虐待も迫害も止まらなくなる。何かあればアジールを頼ればよくなるから。

 

職の消滅に脅える、AIが台頭してきた今のような時代には、優れたシステムやツールも優れてない人によって悪用される危険があるもの。だからアジールのような場所の運営は特に取り扱い要注意。運営が職の消滅に脅える人に任された時、職の消滅に脅える人のアジールに化けて、虐待や迫害が加速するケースも出てくる可能性くらい、優れた人ならあらかじめ見越しているに違いない。

 

意外なもの同士の組合せから、誰も見たことがない景色を生み出せるのは、レアケース。数字で証明されたら反論もできなくなるから、数字で見せると、説得力も増す。

 

というとりとめもないことを、一冊の本、老舗や老舗の継承を起点に思った。