クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

アルマ

楽家、建築家、そして作家に画家と、時代を代表する才人に愛され、インスピレーションを掻き立てる存在だった女性の名前がアルマ。という豆知識は、教養よりもゴシップにより近い。

 

インスピレーションを掻き立てる存在である限りは愛され、傍らに置かれるけれど、用なしになったらお払い箱。という扱いを独身主義者から受けた時、おとなしくミューズの役割から降りずにより確かな地位を求め、その地位をミューズから妻に格上げして不動のものとした時、独身主義な才人の世界もより生活に近付き静寂からは遠くなった。

 

という男女を生活感なく描いた映画を見た。ヒロインの名前がアルマで、ついマーラーの妻だった人を思い出した。

 

インスピレーションを掻き立てる存在である限りは大切にされるけれど、その言動が逆に神経を逆撫でするようになったら目障りだから放り出す。という独身主義者のわがままが許されてきたのも、生み出す作品があってこそ。

 

オートクチュールのデザイナーという、古風な職業と職場を舞台にしているだけあって、映画全体の雰囲気もクラシカル。時の流れが止まったような作品だから、現代のジェンダー意識とも無縁に見れた。舞台を現代にしたら成り立たないお話は、時代設定を過去にするに限る。その方が、常識が違う時代のお話だと納得しやすいから。

 

ワーカーホリックで、自分にとって必要なものとそうでないものを知り尽くしていたら、余計なものはすべてノイズで雑音。美意識が発達した独身主義者なデザイナーのお仕事は、クライアントである個人の個性を引き出しより美しく見せること。内から輝く個性を見極めるにはノイズは邪魔で、インスピレーションを掻き立てるにも静かな方がより都合がいい。

 

だからインスピレーションを掻き立てる存在であるミューズ役もまた、静かであるよう躾けられるけれど、アルマはいつまでたっても騒々しいままで、騒々しいままデザイナーの生活を侵食し始める。

 

ウエディングドレスの発注に訪れた、上得意の高貴な人に向かってアルマが対抗心を燃やすシーンには、アルマの増長がよく現れていて特に面白かった。

 

インスピレーションを掻き立てる、ミューズの役割にすっかり満足していたら、半端にデザイナーの仕事を手伝ったりしない。半端にということは、つまり一人では何にもできないと同意。もしも殊勝な気持ちでデザイナーの仕事を手伝っていたら、上得意に向かって「私はここに住んでるんです!」なんて、おかしな対抗心を燃やすこともない。

 

子供、というより赤ん坊の時からの付き合いで、人生の節目節目をデザイナーの作るドレスを着て迎えてきた上得意で、その関係は滅多なことでは切れない。というビジネス感覚がアルマに備わっていたら、上得意に向かって滅多なことは口走らない。

 

ビジネスパートナーとしてもいまいち、仕事は半端。でも頑として、ミューズの役割を他人に譲ろうとはしないアルマを許してしまうと、あららこうなるのね。という他者からは理解しづらい関係性は、美しいものを生み出すことを生業としたデザイナーが生んだ、唯一の美しくも何ともない歪んだ奇妙なものなのかも。

 

美しいドレスを幾多も作り出したその人が、さして美しくもない関係性に絡めとられるのが、皮肉といえば皮肉。ごく私的なメモだから、タイトルも演じた俳優の名前も書きとめる必要もなし。