クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

砦か檻か

あなたがたは、フニャララがホニャララでまずくなってからの生まれでしょ?残念ねぇ。

 

なんて言われたら、上から目線とカチンと来そうなもの。言った相手が、けた外れの贅沢に慣れた優雅な貴婦人だったら、ほんとに憐れんでそうだから、怒る気にもなれない。

 

東インド会社海上交易で莫大な利益を上げるもととなった、香辛料に織物にお茶。今考えると、たかが香辛料にその他でねぇ。。という気持ちになるけれど、他人が持ってないものに大枚払う人は一定数居る。

 

他人が持ってないもの、それも上位互換となる何かで他者との差別化を図って優越感を得る。あるいは快楽を追求するために大枚はたく人が一定数居て、積もり積もって莫大な利益のもととなるんだから、優越感は侮れない。

 

肝心なのは、優越感競争は貴族のお遊びで、いち庶民が真似したところで早晩破綻するってこと。

 

売れるものがそれしかないから、持ってる着物を一枚一枚売ってはお金に替えていくことを、タケノコ生活と呼んだとか。今は、フリマアプリを使えば人に知られずともタケノコ売りになれるんだから、「みっともない」あるいは「みじめ」という感情を潰す仕組みが、お金を循環させる場にもなってるんだから興味深い。

 

みっともないをそのままお金に変えるより、とっても民主的。

 

物心共に、けた外れに豊かな生活が垣間見れる読み物が昔から好きだった。好きだったけど、けた外れに豊かな人が豊かなプライベートを晒すと、黒い染みをつけるような行為を厭わない人が、いつからか増えた。

 

その人の読み物を載せている媒体(ちなみに紙媒体。リッチな人にこそ似合う、服やグッズを紹介していながら、何やってんだ???と思ってたら、どんどんおかしな路線を突き進んだから、きっと内部にヘンな人が居たんだろう)でさえ余計なコメント、例えば「その豊かさがどこから来ているのか考えたこともないのでしょう」的な小賢しい一文を、よりによって書いている本人の目にも止まる場所にも載せるようになった頃から、この手の読み物、けた外れの豊かさを垣間見させてくれる読み物も見なくなった。

 

そりゃそうだ。どう考えてもどこからか頼まれて、良かれと思ってしたことに対してさえ悪意をあからさまにされるなら、そんなもんやってられない。

 

好ましいものが見つけやすい場所から順次消えていくのは、数では圧倒的に勝る下から逃げるため。

 

快適な個人的空間に慣れ切ったあとで不快なものと出会ったら、また快適な個人的空間に戻ってゆく。それなりにコストと時間をかけて、パーソナライゼーションという砦を築いて囲い込んだ後で、やっぱりあっちと脱走されたら砦に追いやった方こそたまんない。

 

逃げ出せない・投げ出せないんだったら檻に入れたも同然で、あとは豪華な檻か粗末な檻かの違いだけ。同じ檻なら、粗末な檻の方がまだ逃げやすいんだけどね。

 

お休みなさーい。