クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

あら、その設定見たことある

24時間いつでもどこでもニコニコ愛想を振りまける人は、愛想が要求されるサービス業に一見向いてるように見える。でも実際は、愛想を振りまく時と場所をわきまえて、オンとオフをキッチリ分けられる人の方が向いていて、長続きもするんじゃないかと思う。

 

何らかのサービス業について、愛想を金銭に換算するなら時と場所をわきまえる。

 

一時しのぎのアルバイトならともかく。愛想を金銭に換算し、長期に渡って生計を立てようとした時に、愛想にムラがあったらそもそもサービス業として長続きしない。しそうに見えない。ついでに、ムラのある愛想を金銭に換算したところで高値がつくとも思えない。

 

そうはいっても一次産業も二次産業も衰退したら、どうしたってサービス業に就くしかない。就くしかないけど愛想を振りまくのが苦手だったり嫌な人にとっては、だから一次産業や二次産業の人手不足はむしろ朗報で、苦手を自覚していたらそんな朗報は見逃さない。

 

適性がないのに志望するとミスマッチが生まれ、ミスマッチな環境はストレスとなってますます愛想を奪うはずだから、結局のところ生まれるのは悪循環。だから、明らかに適性に欠ける人を大量に集め、大量に集めて無理めの愛想を売るように強いると、それはそれは大きくて立派な悪循環が生まれる。

 

故意に悪循環を作り出す構図の中を、360℃見回してグルグル回ってみたところで、善意なんて落ちてる余地もなし。

 

ちなみに悪循環を辞書で引くと、困難をひとつ解決してもまた新たな困難が襲い掛かり、際限なく悪い状態が続く状態とのこと。あらら、王道格闘系少年漫画みたいな設定じゃん。少年漫画だと、主役が敵を倒しつつ時には仲間を増やしつつ、最後には勝利するようにできてるもんだけどさ。

 

でも現実では、やぁやぁ我こそはと主役になりたがるような人は、大体ろくでもないことが多く、ろくでもないという現実を反映して、名誉は渡しても実権は渡さないようにできてるもんだけど。

 

バンドやろうよと言い出すのは大体ボーカル志望者で、ボーカル志望者を多数集めたらセンター争いが起きる。目立つ場所に勝手に群がり、群がった場所で我こそは一番なりと醜い争いを始めるようなろくでなしを、見極めるために目立つ場所が用意される。

 

名誉の代わりに実権が渡ったら、大変だから。

 

数合わせや、争いを活性化させるために無理やり人為的に投入された。その種の、そもそも争いの場所だったら最初から顔を出さないし諍いも好まないタイプは、役目が終わったらとっとと去る。

 

ネットと現実の境目が薄れ、ネットと現実が地続きになると、いつまでたっても争いや諍いの場に残り続けるメンツの顔触れも、一緒になる。事件や事故、スキャンダルが起こった時にはいつも見る。そういう人種しか残らない場所は、最初からその種の人たちの遊び場や狩り場だったってことさ。

 

一緒に仕事する人から好かれやすいと、いい仕事も回ってきやすいとかいう根拠希薄な話もあるけれど、オンとオフを切り分けるタイミングを失うと、結局損するのは愛想を売って金銭に換える方。

 

愛想を金銭に変える気なんて毛頭もなかったら、不機嫌のままでも不自然じゃない。自分の機嫌を取って、ニコニコご機嫌で過ごせる方がずっーーーーーーーーーーと大事さ。

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過去に撮りためた、ご機嫌のもと。ついでに美味しいものも。

手袋もいらないくらい暖かい。そんな12月なかば、もういくつ寝るとクリスマスにお正月という年も、ちょっと珍しいんじゃないかと思う。