クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

「大統領の料理人」見た。

料理が美味しそうでめちゃハッピーな気分になれた。要約すればそれでこと足りるんだけど、この映画に感じた愛を、もうちょっと語っておくと、とってもすっきりするので、書いてみる。ネタバレいっぱいなので折畳み。

 

 かつてのフランス大統領、ミッテラン氏の心を虜にした女性シェフを描いたこの映画。感想の6割くらいは

食べたーい!美味しそう!

ここに出てた料理全部目の前に持ってきてー!

で占められる。料理も主役の映画なんだから、料理が美味しそうに見えるのもとっても大事。そんでもって、美味しそうな料理の数々を生み出す「大統領の女料理人」がとっても素敵だった。

 

正規の料理教育を受けた人じゃないんだよね。まずコック服着てないし。髪こそ一纏めにしてるけど、センスある私服にヒールの靴履いて、アクセサリー、ネックレスやイヤリングもしっかりつけたまま調理してて、とってもお洒落なマダム。

 

女性誌で繰り返し、「パリジェンヌの素敵な着こなし」とかやるじゃん?あんな感じのお洒落さん。反対色を組み合わせたネックレスの重ね付けテクニックとか、真似したいけどゴージャス感が足りないと多分似合わない。

 

ちゃらちゃらした見た目のマダムが抜擢されたのは、大統領のプライベート・シェフ。職場はエリゼ宮フランス革命さえ生き延びたような銅鍋が、ずらずらーと並んでて、グルメな国の伝統を見せつけてくれちゃう。そんなキッチンで、大統領の私的な食事をまかされるマダム。

 

偉い人って会食の機会多いんだよね。誰かと食事を共にするのも職務の一環だったりするから。エリゼ宮にも、公的なパーティや何かのための主厨房は別にあって、そっちは料理界の東大、ル・コルドン・ブルーか何かを出て、この道うん十年っていう風情の大シェフが仕切る「男の職場」。

 

ミッテラン大統領時代の話だから、1980年代。その頃の厨房ってまだまだ男社会だったんだねー。実際問題として料理、それも多人数向けだと力仕事だから、それもしょうがなくはあったんだろうけど。

 

まずは毎日銅鍋をピカピカに磨くような仕事から始めてシェフに上り詰めた、あるいは上り詰めることを目標とする人達が、ぽっと出のちゃらちゃらしたマダムを快く思うわけないんだよね。おまけにマダム、主厨房から大統領の食事作りっていう仕事奪っちゃってるから、そりゃ憎まれる。

 

ただこのマダムの武器は、成功した民宿(オーベルジュのことか???)の経営者で、客受けが何かわかってること。付け合せのニンジン添える時は、メニューカードには〇〇産ニンジンって書くように指示出してるし。わかってるよね。単なるニンジンより「富良野産朝採りニンジン」って書いてある方が、客にとってはありがたみがあるって。だから偽装表示後絶たないんだろうけど。

 

マダムの作る料理、祖母や母から受け継ぎ改良した、家庭的で懐かしいレシピがもとになってるのは間違いないんだけど、どれも完全に家庭料理の域を超えてる。家庭では作ろうとしても作れそうにない、でも家庭の雰囲気が味わえる。そんな風だから、大統領の胃袋掴んだのかも。

 

大統領の胃袋掴んじゃって、料理人にあるまじき寵愛受けちゃったもんだから、「デュバリー夫人」なんて渾名まで頂戴しちゃってる。

 

1980年代に料理修行中のパリジャンは、デュバリー夫人って言われてもピンとこないみたいだけど、聞く相手間違ってるよね。同時代の宝塚歌劇場辺りで聞いたなら、「あぁ、あの。未来のフランス王妃、マリー・アントワネットに頭下げさせた、いけすかない女ね」って打てば響くような返事かえってくるのにさ。

 

とにかく寵愛受けちゃったから、重臣達から憎まれることにもなるデュバリー夫人こと女料理人。不幸な行き違いで、主厨房とも不仲で、エリゼ宮の中で孤立を深めていく。

 

大統領の料理人として、時には贅を尽くした料理に存分に腕を振るう事ができる環境って、やっぱり魅力的なんだと思う。大統領からのオーダーも、難しければ難しいほど、クリアした時の喜びも大きくて。

 

そんな料理人冥利につきる蜜月に出てきた、トリュフバターを塗ったバゲットに厚切りトリュフをめいっぱい載せたトースト。これ、この映画に出てきた料理の中でも断トツに美味しそうだったんだけど、日本人的にわかりやすく考えたら、初物の竹の子を炊き込んだ竹の子ご飯か、やっぱり初物の松茸で作った松茸ご飯とかかなぁ。

 

それがそんなに美味しいか?って言われそうだけど、初物を喜ぶ同胞を見つけた嬉しさみたいなものを、トースト食べるシーンから感じた。偉く、というよりスレてくると、どこ産とか価格とか、そういう尺度で物事測ることが増えるから。単純に初物で喜べる同胞を見つけた喜びって、結構大きいと思うんだけどな。

 

絶対王政の時代と違って現代の王様は、最高権力者であっても「全体への奉仕者」に過ぎないから、王様と料理人の蜜月、長くは続かない。絶対王政の時代なら、たやすくNOと言えたことにも「全体への奉仕者」ならばYESと言わなきゃなんない。民主主義、なかなかつらいね。

 

エリゼ宮を去った料理人は、エリゼ宮とは対極にあるような場所で、それでも料理人を続けてる。その場所は、映画を見てのお楽しみだけど、多分「食事」がものすごく人の心を捉えるに違いない場所。娯楽に乏しく、厳しい自然環境の、閉鎖空間だから。

 

昔々に見た「森は生きてる」っていうアニメーション映画で、欠食児童が「スープ!スープ!お腹が空いた!」って食器を楽器代わりに合唱するシーンがあったけど、そういうことやってもとっても似合いそうな、欠食児童気味に食事を楽しんでそうな場所。

 

贅をつくすのは難しい場所で、心尽くしの料理をやっぱり作り続けてる料理人。もしもこの映画がエリゼ宮だけで終始してたら、面白さや感動は半減してたかも。帰る場所もあったのに、エリゼ宮を出ても意外な場所で料理人を続けてるところが、この映画のとっても好きなところ。

 

だってさ、大統領あるいは王様の願いは「民が満たされること、飢えないこと」でもあるはずだから。最も願いを叶えるのが厳しそうな場所で、民が満たされるよう料理を作り続ける料理人は、エリゼ宮を出たとしても、最後まで、誰よりも忠実な、大統領の料理人だよねー。素敵ー。

 

大統領の料理人(字幕版)
 

 

 思いっきり、書きたいように書いて満足した。お休みなさーい。