クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

スマスピで、できたらいいなと思うこと

  • バリ島で再度火山噴火、火山活動活発化を懸念し警戒レベル最高位に引き上げられる
  • イスラム諸国40カ国が参加のアラブ軍事連合、対テロ活動を強化すると表明
  • 女子フィギュアの宮原知子スケートアメリカで優勝

以前アイスランドで火山が噴火した時は、火山灰によって周辺空域を飛行する飛行機にも大きく影響した。ついでに、13世紀に起こった東南アジアにある火山の噴火によって世界中に火山灰が撒き散らされ、世界は一気に寒冷化に向かったこともあるんだってさ。

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地球温暖化防止で挙国一致体制が整いつつある時に、その大前提となる“地球温暖化”が逆回転し始めたら大変じゃない?ということで、火山の噴火が大きなニュースになるのも納得。おまけに、年々過密になる“空のダイヤ”を練り直すのもきっと簡単じゃない。

 

スマートスピーカー、略してスマスピ。

 

Amazon製には“まだ“手を出していないけど、置き場所とか使い道とか。諸々整理してからお迎えしましょという深謀遠慮の結果であって、多分そのうち買うような気はしてる。

 

買ったらさせたいことのナンバーワンは、読みかけの本の読み上げで、Amazonの中にもAudibleオーディオブックサービスがあるから、そのうち連携しそうな気もするんだけど、どうなんでしょ。

 

寝る前の読書代わりに、読み上げ。あったら便利。部屋も暗くして、いつでも就寝できる状態で、アレクサに「ねぇアレクサ、○○の続き読んで」とリクエストしたい。ラジコを呼び出すのと変わんない感じ。読み上げというより、読み聞かせだね。

 

おしゃべりや音楽を聞くように本を読んでもらうのは、“ながら“の作業時にもちょうどよし。

 

一読しただけで脳みそに刻まれたような集中力は、とうの昔に失われてしまったから、あとは何度も聞いて聞き返して脳みそに刻むしかない。

 

感情たっぷりに読み上げられるとナレーターの感情に感化されるので、そこは人工的ボイスでよし。声の強弱、抑揚のつけ方などはすべて余計な情報だから、なくていい。取捨選択は自分でするから、他人の押し付ける“こう読め”という情報は要らない。

 

スマスピが読み上げるニュースは、だいたいどれも無機的な機械ボイスで、感情がこもってないところがいい。事実を伝えるだけなら、感情は不要。

 

感情が省かれていると、ニュートラルな立ち位置っぽさもさらに強化される。感情込みでオピニオンを伝えたかったら、右か左か、ハトかタカか。立場を明らかにした上で、情感たっぷりに訴えればいいだけのこと。

 

ファクトとオピニオンが、混ざるからややこしくなる。

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ちょっとモチモチの木っぽい。

子供が寝る前の読み聞かせ。忙しい大人に変わってアレクサがやってくれると、成長した子供にとってアレクサあるいはAmazonは、何でも売ってるけど本が買える場所読める場所と刷り込まれ、好んで密林のジャングルに戻ってくるようになるかもね。かもかも。

 

お休みなさーい。

クリスマス・ツリーにも明かり灯る

  • アメリカ、感謝祭後の恒例となったバーゲンセール“ブラックフライデー”で、ネット通販の売上過去最高となる
  • 王制を廃し連邦共和制に移行したネパールで、新憲法下で初の議会選挙実施
  • 仮想通貨ビットコインの取引価格、初の100万越え

景気がいいと、景気のいいニュースが巷にあふれるもの。高給取りほど、「みんなで一緒に踊りましょうよ、このバブルに乗って」という誘惑に弱いもので、そもそも持たざる者にはカンケーねぇ。

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バブルで思い出すのは、普通よりも高給取りかつ高機能人材で、トロフィーワイフとカワイイお子様にも恵まれ、なのに蓄財に走って失敗。蓄財の失敗が家庭の不和を呼び、ついには妻子を亡き者にした人のこと。ハッとするほどきれいな人だったのよねぇという述懐は、いつまでたっても忘れられない。

 

今年を表す言葉、世界、特に西欧世界では“セクハラ”でいいんじゃないすかね。

 

と、いいたくなるほどあっちでもこっちでもセクハラで訴えられる有名男性が多過ぎでしょ。ノーベル文学賞の選考に関わってきたスウェーデン文学界にまで飛び火して、もうこれはあれだ、権威と権力のあるところハラスメントはつきもので、ハラスメントがつきものとなるから権威と権力は適宜総入替して、風通しよくするしかないね。

 

勝者に対して文句は言えないけれど、敗者に対してならいくらだって文句も言えるから。

 

本日の最高気温はプラスを上回り、絶好というわけではないけれど、出掛けるには支障なし。観光客っぽく暮らす人らしく、もの珍しげにホワイトイルミネーションを見に行った。買い物のついでに。

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点灯前の殺風景な姿。アフターの姿はそのうちに。

 

ミュンヘン・クリスマス市の会場には、美味しそうな匂いが立ち込めていた。今日は見てるだけ。食べたり飲んだりは、また別の日別の機会に。一度にすべては試せません。

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インスタ蠅が喜んで寄って来そうな、ここで撮りなというインスタ映えしそうなスペースが随所に設けられていたのが印象的。たぶん、ただ写真を撮りに来ただけの人、結構いると予想する。

 

イルミネーションを一気に点灯させる“点灯者”も大募集中とのこと。除夜の鐘みたいだね。スイッチオンで会場が明るく輝くとともに一斉に上がるどよめきを聞くと、ちょっと誇らしいかも。点灯者はカップル・グループ限定で、おひとり様はお呼びじゃないらしい。

 

あれ楽しかったねぇと言い合える、そんな皆様でどーぞってことなのかも。

 

ミュンヘン・クリスマス市に立つクリスマスツリー。白っぽいものは雪さ。

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いかにもクリスマスっぽい雰囲気のツリーで、クリスマス気分も盛り上がる。ケーキにツリーにプレゼントと、商業的側面としかクリスマスには縁がないので、商業的クリスマスをこれでもかと楽しむのさ。

 

毎年ひとつは、ツリー用あるいはデコレーション用のオーナメントを買い足すとか。習慣とも言えない習慣のせいで、気付けば我が家にもクリスマスデコレーションが増えました。チマチマっとしたものばっかりなんだけど。

 

初日はひと通りさっと見ただけ。じっくりとナイスショットを狙うのは、またボチボチと別の日に。ナイスショットが撮れるかどうかは、保証なし。

 

お休みなさーい。

籠城メシ

住んでる住民の数は増えなくても、時々訪れる観光客の数が増えれば公共交通その他の維持も、それだけ容易になる。理屈ではわかっちゃいるんだけどさ。なんでタクシー使わないのさ???と思う観光客に、生活の足を占拠・足止めされるとイラッとくるのはしょうがない。

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光都市として成熟しないと、おもてなしの気持ちもそう簡単に根付くわけねぇ。

 

最高気温マイナス3℃で最低気温マイナス4℃。あら、ほとんど気温変わんないじゃん。終日小雪が散らつく寒~い一日。

 

寒くなる&雪が積もるようになると、外出が億劫になる。今のところは意識して外出するようにしているけれど、いつ気持ちが切れてもおかしくない。そうなったら引きこもりモードへまっしぐらさ。

 

とはいえ、ブリザードが吹き荒れたら不要不急の外出を控えるのは極めて自然なことで、大雪とは無縁の東京あたりの常識に照らされたらたまんねぇ。世界有数の豪雪都市だけあって、多少の(?)大雪ぐらいでは、社会インフラだってビクともしない。都市生活が麻痺するようなことは、滅多になし。それって、すごくない?

 

社会インフラにも日々の生活にも支障なくとも、買い物が億劫になるのは冬にはよくあること。食材の調達ができなくても、あるものでなんとなく済ます。これからの季節は籠城メシの出番が多くなる。

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わかる人にしかわからない、コスパのいい食材で出来上がったメニュー。しめじと水菜とシラスの和風ペペロンチーノに、ホウレン草とツナとトマトのサラダと野菜入りコンソメスープ。

 

籠城メシではパスタ大活躍。ご飯(というよりお米)も大活躍。冷凍麺は冷蔵庫内で場所を取るので、乾麺がとにかく重宝する。

 

トマト缶とツナ缶に、決まった野菜、じゃがいもとか玉ねぎとかニンジンとか。あるいはホウレン草にしめじに葱とか。そこに動物性たんぱく質の冷凍ストックさえあれば、それなりになんとかなる。冷凍野菜、コーンとか煮物用根菜類もお役立ちだった。

 

明日も買い物が面倒だったら、白菜と鯖缶で乗り切るつもり。鯖缶も地味に活躍してる。

 

コンビニにだってちょっとした野菜、もやしとかニラとか売ってるから、贅沢なものを食べようと思わなければ、それでもなんとかなる。贅沢なもの、あるいは凝ったものを食べたかったら外食という手段を取ればいいだけのこと。外出さえ面倒な時が、毎シーズン必ずあるから、籠城メシレシピがストックされていく。

 

今日は何作りましょうと、フリーハンドで献立を考えるとキリがないから、食材に限りありという制約がある方が、”献立考える脳”も活性化する感じ。気持ちはほんのちょっぴりサバイバル。ついでに買い置きした食材を、年内に使い切るよいチャンス。

 

来年は元日二日くらいはお休みするところが増えそうなので、食材を使い切りつつ、ついでに作り置きにでも励んでみるか。という、来月に向けての抱負。ちょこっと室内もクリスマス風に飾り付け。ちょい早めのアドベントの始まりさ。

 

お休みなさーい。

予言が本当になる時

『海は燃えている』という、イタリアのドキュメンタリー映画がありまして。ウォッチリストには入れているけれど、見ると鬱になりそうでそのうち。。と思ってずいぶん経つ。アメリカは中南米からの、ヨーロッパはアフリカからの、そして日本は近隣アジア諸国から押し寄せる難民が大きな問題になるよ、と10年くらい前に予言された。

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鴨がいなくなった、なかば凍った池。

先進諸国共通の問題に、先進国を標榜する国がわしゃ知らんで通るのか。通したいから、先進国から降りるという非常手段があり、一国あるいは一エリア内の平和はその中では保たれる。鎖国って奴やな。

 

カーテンの向こうがずいぶん明るいような気がした、真夜中。外ではやっぱり雪がしんしんと降っていた。

 

ホワイトイルミネーションは、まごうかたなき一面の真っ白さ。日が暮れる前にさっさと帰ってきたから、点灯後の光景はまだ見てないんだけど。これからしばらく夜10時までは煌々と明かりがついてるはずなので、いつでもいいやとのん気なもの。

 

Tの国かCの国か。

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世界はTeaを日常の飲み物とする国と、Coffeeを日常の飲み物とする国との二つに分かれるんだと、これは何かの本を読んだときに仕入れた知識。チャイ(CHAI)の立場はどうなるんや。。という大雑把すぎる分類だけど、なんとなく納得感はあり。

 

水とアルコールの間の中間の飲み物として、何を飲んできたのか。そこにはきっとその土地ならでは来歴があって、文化人類学とか生活史とかに行き着きそう。

 

熊笹茶というお茶を飲んだことがある。熊笹という、北海道ならそのあたりの野山に生えてそうな植物を原料としたもの。特別美味なものではなかったけれど、単なる葉っぱでもお茶になるのかと、それなりに新鮮だった。

 

葉っぱがあればとりあえずお茶はできるから、Coffee>TeaでCoffeeが良く飲まれる地域ほど文化文明度も上がる時代が、きっとあったはず。なんてったってCoffeeはどこでも育つ作物ではないから、遠方と交易する能力や、あるいは遠方の農場を経営する能力(含む経済力)がないと、Coffeeを日常の飲み物とすることはできない。

 

Teaの文化もよーく見てみれば、紅茶・日本茶中国茶とそれぞれ最高ランクに近づけば近づくほど洗練されていき、産地や生産者で高値がつく商品作物ではあるんだけれど。高値がつく商品作物という認識がなく、家で飲むものとしか思ってなかったら、外で高いお金出して飲んだりしないわな。

 

昔々紅茶教室に通っていた時、Teaについて学ぶのなら、岡倉天心の『茶の本』を読むべしと薦められて目が点(・。・;になった。紅茶関係あらへんやん。。という思いは、kindleでポチッとダウンロードした『茶の本』を読んでも募るばかり。

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ちなみに岡倉天心とゆかりのある茨城県五浦の六角堂を見に行った時に、当時の岡倉天心の写真も見たけれど、十二分に素っ頓狂なおじさんだった。

 

素っ頓狂なおじさんなんだけど、明治の日本を代表する海外によく知られた美術家で思想家で評論家だったのよねぇ。素っ頓狂な面もあるんだけど。

 

紅茶という西洋文化(?)を学んでも東洋精神は忘れるなという教えだったのか、それとも目指すものは西洋と東洋の融合だったのか。あるいは単に知識ひけらかしだったのか。

 

今となっては知る由もないけれど、茶といえば岡倉天心と言って欲しい、あるいは思い出して欲しい一派がいるんだな、ということだけはしっかり記憶に残った。ここぞという時のコレとして思い出して欲しいという目的のある人が、小金ばら撒いて、人前に立つ講師を養成するのかもね。

 

しなくてもいい苦労は人を歪ませるというよりも、もともと持っている資質を先鋭化させると言った方がより適切。人の意見を聞かない(聞けない)人は、より他人の意見に耳を貸さなくなり、他罰傾向のある人は、よりその傾向に拍車がかかるという風に。

 

ストレスが講じると、何らかのハラスメント行為で憂さ晴らしせずにはいられない人はその傾向に歯止めがかからなくなり、決して他罰にもハラスメントにも走らない人は、己を責め続けるのかも。

 

局所しか見れない人には止められないから、全体が見れる人が止めるしかないんでしょ。

 

お休みなさーい。

点灯前

  • ゾゾタウン、初のプライベートブランド始動。採寸のためZOZOSUITを無料配布
  • 三菱マテリアル子会社で、素材製品のデータ改ざん発覚
  • 太平洋上で転覆、乗組員不明となっていたまぐろ漁船、乗組員全員無事に救助される

世界各国の人の採寸データが手元に集まれば、なんだかいろいろなことができそう。と、思う程度にはビッグデータ神話に侵されている。採寸データがあれば、トップスにボトムス、そしてインナーまで手掛けることが可能で、それなんてユニクロですか?って感じー。

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雪道を歩くと、普段より3割増しくらい疲労する。

 

とはいえ雨が降ったおかげで、それなりに人通りのある場所の雪はほとんど融けた。明日・明後日そして明々後日とまた雪が降るそうなので、速やかに歩きにくい道に逆戻りになりそうではあるけれど。

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ビバロードヒーティング。文明の利器って素晴らしい。

 

ホワイトイルミネーションは、明日から。都市のど真ん中が、煌々と明るく照らされるのはいいことさ。雪に閉ざされ沈みがちな気持ちもなんとなく、アガル。

 

ホームセンターは、本格的な雪の季節に備えてまとめ買いする人でごった返してた。トイレットペーパーにティッシュペーパー。何箱もまとめ買いして籠城に備えるのは、買い物が億劫になる雪の季節の風物詩。

 

スーパーその他が遠ければ、買い置きするに越したことはなし。近過ぎても配達を頼むのはかえって気が引けるから、その辺りの加減もあり。コストを度外視すれば、コンビニでのつど買いで乗り切ることもできるけど、お金はかかる。

 

シン・フェイン党という名詞、世界史あるいは現代史のテスト以来久しぶりに聞いたような錯覚に陥った。けどきっと気のせい。近現代過ぎかつ政治的にセンシティブ過ぎて、きっとテストでは出てこない。

 

30年以来その座にあった党首が辞任表明とのことでニュースになっていたけれど、過激派組織IRAとの関係も濃厚だった人がリーダーであり続ければ、若返りなんてちょっと無理。もうその来歴だけで、敬遠される。

 

関係が濃厚だったからこそ、和平への対話も可能かつ舵取りも容易だったかもしれないけれど、他者から見た時わかりにくい関係性は、勝手な憶測を呼ぶから多分よろしくない。

 

闘争の歴史、あるいは来歴の一部はケン・ローチ作品に載せて広く世界に配信されたから、歴史的役割を終えつつあるよなと、勝手な観客はそう思う。

 

すっ転ばない程度の雪道であれば、ほどよい運動になって、かつ歩くうちに体は温まってくるので、この季節のお散歩は意外と快適。もちろんぬっくぬくに着込んでいるけれど。

 

南国生まれの子、雪国はさぞかし辛かろうと思ったら、マフラーや手袋、あるいはアウターといった寒い季節ならではのファッションがかわいいし、身に着けられて嬉しいとポジティブだった。まぁ、そういう考えもあるわな。ブーツなど冬靴類も豊富で目移りする。

 

日本での雪国人口が減ると、雪国仕様の防寒具も減るのかもしれず、それはちょっと困るかも。アスレジャーっぽいファッションは好きじゃない。

 

お休みなさーい。

ラストワンマイル

NYのタイムズスクエアビルといえば、新年のカウントダウンで必ず映し出される場所。東芝が降りた後、そこに代わって名乗りを上げる日本企業はどこになるのか。それとも当分のあいだ、あの場所に日本企業の名は出ないのか。その先が気になるところ。

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Amazonはラストワンマイルで運送業者への譲歩、あるいは歩み寄りを余儀なくされ、Googleさんその他もやっぱり配信に譲歩せざるを得なくなるんすかね。亀の甲より年の功って感じー。

 

Googleもだけど、Amazonも使わない日はほぼないと言っていいほどのヘビーユーザー。

 

Amazonの場合は、ポイポイお買い物もしてるので無駄使いしそうでキケーン。といっても本とか映画とか。たまーに音楽という使い方。日用品を買うことはまれ。今のところ。

 

映画はともかく本をポイポイ気軽に買っているのは、日用品に比べれば正規品かどうかを気にしなくてもいいから。バーゲンになってたらラッキー☆と思う程度で、最安値にこだわりはない。ってか本のバーゲンにはそもそも馴染みがないから、なくてもいい。(でもポイントの恩恵には多分それなりに与っている)

 

リアル店舗、それもそれなりに集客が見込める場所にあるお店なら、非正規品を置いているとは考えにくい。そういう感覚で、非正規品かもしれないと疑いつつ買い物する習慣がないから、非正規品が混じってそうな場所で買い物をするのはイヤ。という理屈。

 

インフルエンサーによるステマが一時期問題視されていたけれど、営業でも宣伝でも販売員やあるいは勧誘員であってもそうなんだけど、誰が見ても一目瞭然でそれとわかるよう目印つけてよ。と思う今日この頃。

 

新聞の勧誘員だって色々文句言われたあげく、最終的にはIDカードをぶら下げるようになったじゃん。

 

身許や本来の目的を隠して不用意に一般ユーザーに近付く「不心得もの」が横行するから、ネットの中にも規制の手が伸びるわけで。

 

それとも「心ある」一般ユーザーの暴走なのか???誰かの指揮命令系統のもと、組織だった動きを見せる一般ユーザーがウヨウヨしていたら、それはそれで恐ろしい。地獄への道は、善意で舗装されてるって奴なのか???

 

関わるはずのない、混じるはずのない二者は、どこまでいっても何があっても混じらない。ずっと昔に分かれた道、いまさら一緒になるわけがない。

 

ムガベ大統領が辞意を表明すると、スピーチしてる場が拍手喝采で沸き返ってた。立派な議場やな。。と思ったけれど、一般人も聴衆に混じっていたから、どこかの劇場か何かなのかも。

 

リアルでそんな面白い光景を見せつけられたら、今後フィクションで似たような場面を見るたびに、あぁ史実(あるいは事実)をもとにした脚色で、まったくのオリジナルではないんだな、と思う。事実の方が面白過ぎると、フィクションはかたなしやね。

お休みなさーい。

ココロ静まり返っても、穏やかでなし

サケ・イクラ泥棒、捕まえてみたら暴力団員だったというニュースには、今という時代がギュギュっと濃縮されてるようで興味深かった。お正月で需要は増えるというのに、不漁でサケもイクラも高騰中。だったら盗んでしまえという発想が、まったくもって反射的で反社的。ピチピチした生身の人間よりも、ピチピチした鮮魚の方が、利幅も大きいのかも。

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防滑シューズで滑り止め対策はバッチリのはずなんだけど、ツルッツルに凍ったスケートリンクのような路面上では、どうにもこうにも滑るしかない。小雪、舞って欲しい。ある程度は滑り止めになるから。

 

少し前に大きな火事を出して燃え続けた場所は、コインパーキングへと衣替え中だった。狸小路商店街に面した新しいマンションの隣には、雀荘&パチンコ屋さんその他が建設中で、そんな話は聞いてないと、悔しがる人も居るかも。

 

投資の基本は、安く買って高く売ること。高過ぎて手が出せなかったら、瑕疵を探すか代替を探すこと。

 

ビットコインに今さら手を出さないのは、明らかに高値掴みになるからで、始めるならもっと早く、サトシ・ナカモトの名前を聞いた時にすぐに始めるべきだった。

 

出口のないお金、余ってるところには余ってるから、行き場のないお金が出口を求めてさまよっている。という脳内イメージが勝手に膨らんでいく。

 

例え大きな損を出したとしても、そもそも桁違いの日銭が転がり込んでくる仕組み(配当その他の権利収入などなど)をすでに持っている人なら、回復するのもあっという間。

 

出口のないお金は適宜吐き出しておかないと、なんてったって経済を回す血液でもあるから、一旦逆流でもすると大惨事になってしまう。

 

後世に残るような大邸宅でも道楽で持てればともかく、明治の元勲の時代でもないから、そんな土地もなければ、職人さんの確保も難しい。ずっーと出物が出るのを待ってる人、居るよね、きっと。

 

現代を見ていると、世知辛いニュースや事件が多くて心も荒むから、ずっと昔、しかも秘境を踏破した人の記録でも読んでタイムスリップすると、ココロも静まり返っていい。

 

今から60年ほど前、昭和30年代初頭の秘境と言えば、だいたいは平家の落人集落っぽい。

 

交通の要所だったり、宿場だったり、城下町だったり、宗教都市だったり。昔っから人が住む場所は、水利や交通の便に恵まれていて街道沿いだったりするけれど、条件に恵まれていない土地にも昔っから人は住み着いていて、なぜかというと彼らは敗者だったから。

 

敗者だったから、条件のいい場所に住むことは許されず、とはいえそもそも支配階級でもあったから、条件の悪い土地でもそれなりに住み着いて生活を再建することができた。細々と語り継がれてきた、敗者、あるいは主流になれなかった人が脈々と紡いできた歴史とも言えて、へぇと思うような知見がときおり散りばめられていた。

 

決して表舞台に出ることは許されなかった、敗者たちの記録。でもあって。

 

記録というのは結局のところ「読まれてナンボ」でもあるから、細々と語り継がれてきた敗者、あるいは主流になれなかった人たちの記録、読む人さえ居なくなるのがイヤなんでしょ。わがままだね。

 

読まれなくなったら記録する意味もなくなるから、記録の形も変えていくしかない。

 

歴史は勝者が紡ぐものだから、勝った方が都合よく改変するのなら、敗者だってどこかで都合よく改変を加えてくるのかも。勝者が手を出しにくい分野で。

 

電子化されているということは、「現代から見た目」で一度検閲が入ってるかもしれず、できることなら発刊当時の原書という形で、読んで確かめたいもの。

 

アナログからデジタルへの改変期は、絶好の史実改変期でもあるよな。。と時折苦い気持ちになりながら、それでもそれなりに面白く、読むという行為は鎮魂でもあると思いつつ読んでいる。

 

荒ぶることはもう許されないんだから、ちっとは魂鎮めれば。と、誰かさんに思うこれはレクイエムがわりさ。

定本 日本の秘境 (ヤマケイ文庫)

定本 日本の秘境 (ヤマケイ文庫)

 

お休みなさーい。