クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

備蓄食料で乗り切る、さば缶ドライカレー

ミニッツメイドの朝マンゴに朝リンゴ、カップでヤクルトに各種ヨーグルト、冷凍うどんにお粥にカップ麺。ついでにシュークリームやアイスクリームに、忘れちゃいけない甘酒にジョア。

 

ここ2~3日の間に食べたのはそんなもの。しょーもな。

 

しょうもないけれど、そんなものしか喉を通らなかったんだから、しょうがない。ちなみに「飲む点滴」甘酒をグビグビ飲んでいると、甘みに対する許容量が振り切れて、缶詰フルーツ(桃缶とか)がちっとも欲しくならない副作用アリ。重ね重ねしょーもない。

 

ロクなものを食べてないけど、そもそも寝るかスマホいじるか、Amazonプライム見るか、鼻噛むくらいしかしてないから、さして体力も消耗してない。消耗してないけれど、人間にはやっぱりたんぱく質が必要なんだ。というわけで、さば缶でドライカレー作ってみた。

 

さば缶だったら、買い物に行かなくても家の中に転がってる。

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【材料】

  • さばの水煮缶(200g程度のもの) 1缶 
  • たまねぎ 1/2個 
  • しょうが・にんにく 適量 
  • カレー粉 大さじ1 
  • トマトケチャップ 大さじ3
  • 水 1/4カップ(50cc)

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たまねぎもしょうがもにんにくも、みじん切りにする。中途半端にあまったズッキーニを発見したので、そいつも薄切りに。

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油を引いた鍋に、たまねぎもしょうがもにんにくもズッキーニも投入。

 

ついでにクミンシードを小さじ1ほど振り入れる。クミンシードがあると、いきなりエスニックでカレーっぽくなるお役立ちスパイス。

クミン シード カップ 50g

クミン シード カップ 50g

 

 

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カレー粉投入。基本レシピでは大さじ1のところ、多分大さじ3くらいは入れてる。スパイシーな方が好きだから。

インデアンカレー カレー粉 400g

インデアンカレー カレー粉 400g

 

 

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さばの水煮缶を、缶汁ごと加え、水とトマトケチャップも加え、中火で煮詰める。

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5~6分ほど煮詰めて水気がなくなってきたところで、完全に好みのブラックオリーブと、やっぱり中途半端にあまっていたミニサイズのモッツアレラチーズを加える。粉チーズや、仕上げにとろけるチーズでも可。チーズがあった方が、やっぱり美味しい。

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チーズが溶け切ったら完成。う~ん、実に美しくない。

 

ごはんに乾燥パセリを振って、さば缶ドライカレーペーストを乗っけて完成。

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見た目はさして美しくないけど、うまうま。

 

久しぶりに自分で作ったご飯に、胃が喜ぶ。結局ウチ飯に最適化されてる胃袋だから、面倒くさいけど、自分で作るご飯がいちばん口に合うんだな。面倒くさいけど。すっごく面倒くさいけど。

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あまったドライカレーペーストは、うどんと絡めてやきうどんにしても、トーストに乗っけても。元々はきょうの料理で見つけたレシピ。今の気分はトーストだな。明日こそは食パン買いに行こう。。

 

久ぶりのまともな食事、しかもスパイシー(←自業自得)なので、胃がシクシク( ;∀;)痛むけれど、明日にはもうちょっと回復してるでしょう。買い物行きたい&行かねば。ほんとは作りたいスイーツがあったのにさ。

 

お休みなさーい。

 

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邦題はひどいけど、ハッピーとポジティブがギュギュっと詰まった『パパVS新しいパパ』見た

日本の場合、二地域居住は花粉症をきっかけに広がるのかも。かもかも。花粉症シーズンだけ花粉の飛ばない地域で働くことができたら、生産性も働く人の幸福度もアップするに違いない。花粉症とは無縁になって、幸福度は確実に上昇した。

 

1時間に一回くらいの割合で、頭痛~いとのたうち回っているけれど、別にインフルエンザじゃない。症状が落ち着くまでは薬でやり過ごすしかなく、昨日に引き続いて、難しいことはなーんにも考えたくない状態。

 

そんな時にお役立ちなハッピームービーを探していたら、大当たりを引いた。

 『パパVS新しいパパ』。邦題がひどいけど、ケラケラ笑えるコメディで、鎮痛剤よりよっぽどお役立ち。

 

子供に必要なのは、パパか父親か。

 

生物学上の父親と、母親と再婚した継父が、娘と息子、子ども二人の寵愛をめぐって争うお話。家庭的で、正攻法ビジネスで成功している継父は、客観的に見ればとってもいいお父さん。ところが子供は残酷なもので、たまーにしか現れず、面白おかしく甘やかしてくれる実の父親びいき。

 

見た目からしてワイルド&タフな実の父親ダスティと違って、継父ブラッドはどこから見てもいい人。人は見た目じゃわからないとはいえ、まだ小さな子どもにとっては、“自慢の種”が多いほど、ステキな親になる。

 

ダスティはワイルド&タフな見た目でカッコいい、ついでに面白くて愉快で、結構いい男なんだけど、じゃあそんなにステキな男性なら、どうして離婚したんですかね???

 

と、考えるのが大人。

 

愉快で話も面白い人だけど、「本当のこと」を決して言わない人に、子どもは預けられない。

 

子どもは不完全で飽きっぽくて、飴に弱くて素直に言うことも聞かない。おまけに自分たちに注がれてる愛情もきっちり理解していて、その愛情はまだ涸れることもないことを知っている。立場の強い子どもたちの、歓心をかおうと大の大人、ダスティとブラッドが大人げなくムキになるところがたまらなくおかしくてステキ。

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(これも飴の一種)

「子どもは愛すべきもの」という精神に貫かれていて、アメリカ社会でそこそこ成功を収めている人たちの、強固な本音も見て取れる。

 

不完全な生き物である子どもの相手を、自然にこなせる人間とそうでない人間だったら、さて、いったいどちらが優れているのか。

 

24時間×365日×子どもが大学なりなんなりに進学して子育てがひと段落するまでのなっがーい時間。飽かずに子どもの相手を、時には導き親としての役目を果たすのに適当な人物像について、大人はすでに最適解を得ている。経験則で。

 

ワイルド&タフでカッコつけたまま親業がつとまればいいけれど、大抵の場合はそんな風にいきっこない。

 

大抵の場合はそんな風にいきっこないことも織り込みつつ、でもね。。というエクスキューズつきでみんながハッピーになる大団円がとっても気持ちよかった。

 

ダスティとブラッドという好対照な二人は、あらゆる面で「違う答え」を出す二人。父親が一人だったら父親固定観念に縛られてしまうけれど、二人いれば、異なった視点が手に入る。

 

離婚も再婚も当たり前の社会は、一歩も二歩も先を行って、辛苦といったネガティブ要素からも頭ひとつ抜け出して、ポジティブな面を見つけるのが上手なんだ。

 

ダスティに幸運をもたらしたのは結局のところブラッドで、さっさとダスティに見切りをつけた妻のサラは、大人の女性だけあって、やっぱり見る目があった。

 

子どもたちもキュートで、すごーくリラックスできる、ハッピームービー。よかった。

 

お休みなさーい。

老醜に生きる往年の名女優が怖くてたまらない、『サンセット大通り』見た

今どきだと、邦画を見ずに洋画ばっかり見てる人は、変わりもんになるんだとか。趣味や好みが多様化した時代に、変わりものじゃない人って、じゃあどんな人さ?と、突き詰めて考えるのも面倒くさいので、今日も気分で好きなものを観てる。

 

昨日に引き続いて、頭痛が痛くて集中力が続かない。気楽に見れそうなAmazonプライムを漁っていて見つけた『サンセット大通り』で、主演のグロリア・スワンソン“顔芸“に引き込まれ、頭痛の痛みもしばし忘れたさ。

 グロリア・スワンソンといえば、『サンセット大通り』。『サンセット大通り』といえばグロリア・スワンソンと、セットで暗記してはいるけれど、その中身についてはよく知らね。

 

トルコ近代化の父が、ケマル・パシャことアタチュルクってことは暗記していても、その中身はグーグルさんに聞くしかないのとよく似てる。

 

映画史上に燦然と輝く名作。ストーリーも観客をドッキリさせるカメラワークも、さすがとしかいいようのない意外性満点で、古さを感じずに引き込まれた。

過去の栄光だけを糧として生きる忘れられたスター、ノーマ・デズモンドに扮したグロリア・スワンソンと借金取りに追われていた売れない脚本家ジョーを演じたウィリアム・ホーデンがサンセット大通り“での主役を務める。アカデミー賞受賞監督ビリー・ワイルダーがハリウッドの光と影を見事に活写した傑作。

Amazonの内容紹介より引用)

 借金取りに追われるジョーが、支払い滞り中のマイカーを取られてなるものかと逃走中に、とある荒れ果てたお屋敷に迷い込む。庭の手入れは怠っているものの、室内はゴージャス極まりないそのお屋敷の女主人が、グロリア・スワンソン演じる往年の名女優ノーマ・デズモンド。

 

現代風に言えば、承認欲求をこじらせたまま年食った女王様。若かりし頃の自分の写真や肖像画で、室内を飾り立ててる痛い人。ジョーが脚本家の端くれだったことから、映画界へのカムバック目指して“自分が主役”の脚本を執筆中のノーマに気に入られ、そのままツバメのようなヒモのような生活に突入する。

 

こじれた、あるいはねじれた人間関係は、第三者から見るとホラーそのもの。

 

『サンセット大通り』は、きらびやかでステキなばかりでもない、ハリウッドの光と影を描いた作品だけど、同時に純然たるホラーにもなっていて、ゾッとできる。なにしろグロリア・スワンソンが超コワイ。やることなすことコワ過ぎて、こんな人とは絶対にお友達になりたくない。

 

実生活でも当時「忘れられつつある女優」に片足突っ込んでたせいか、迫真の演技が真に迫り過ぎている。金持ちだから、お金バラまいて取り巻きを引き留めようとしたり、お金はあるけどいつまでもチヤホヤされたい女優の“老醜”も、くっきりはっきりさ。

 

マギー・スミスに、ヘレン・ミレンと、いくつになってもどこか可愛らしいおばあちゃん女優と違って、年とってもサロメのような官能的な役を演じたい、“業”に取りつかれたグロリア・スワンソンは、可愛く年取れない人。

 

彼女を増長させているのは、グロリア・スワンソンの忠実な執事で、この人もその生き方も相当ヘン。もしかすると、主要登場人物の中でいっちゃん変かも。かもかも。演じる、あるいは映画という“業”に取りつかれた人間の、どうしようもなく常人とは相容れない部分が、濃縮200%果汁みたいにぐつぐつ煮詰まってる。

 

で、この「どうしようもなく常人とは相容れない部分」こそ、ハリウッドの影の部分なんだな、きっと。

 

作中には、かつてグロリア・スワンソンと共演した名監督として、セシル・B・デミル監督も、実名で登場してる。この人も、『地上最大のショウ』や『十戒』にその名を残す、映画史上の有名人。マグナ・カルタを制定したのはイギリスのジョン王と同程度に、テストでは出てくるかもしれないから、マーカー引いてチェックしとく人。

 

無頼を貫いて成功する人もいるかもしれないけれど、セシル・B・デミル監督は、極めてまともな常識人として描かれる。老いたグロリア・スワンソンにも親切で、人としての器の大きさも感じさせる。

 

クリエイターとはいえ常識的なビジネスマンで、だからこそ「常識と相性よし」でオスカーにも輝き、ハリウッドの光になれたとも言える。

 

そうはなれなかったグロリア・スワンソンと、そのグロリア・スワンソンに目をつけられたジョーが、とことん光の当たらない場所に堕ちていく過程がホラー。

 

最初は居丈高だったグロリア・スワンソンが、ジョーがこっそり(でもバレてる)屋敷を抜け出すようになる辺りから、六条の御息所ばりにおかしくなっていくのもまたホラーで、あな哀し。ついでにあな怪し。

同世代の人間の笑い声が聞きたかった

(作中のジョーの台詞より引用)

 とは、屋敷を抜け出すジョーの台詞で、その感覚はまったく正しい。

 

過去にすがるしかない、意思さえ奪われた年寄りの“蝋人形“に囲まれて生きる暮らしは、どんなにゴージャスで贅沢なものであっても、精神が腐る。

 

ジョーの歓心を惹くために、時には道化役まで演じてみせる老いた女優の姿を正視できるようなら、もう手遅れなのさ。

 

この関係は、いつか破綻すると思う関係が、きっちり破綻するのは意外でもなんでもないけれど、その時のグロリア・スワンソンと執事こそが見もので、ホラー映画としての真骨頂が待っている。

 

人は、ここまで壊れることができるんだね。。と、見てはいけないものを見た気持ちでいっぱいになれる。

 

血がドバッドバッ!!!と飛び出すスプラッタ―よりも、よっぽど怖かった。

 

この世でいちばん恐ろしいのは、人が壊れるその瞬間さ。

 

お休みなさーい。

つむじ風

ニューヨークのケネディ空港に、入国禁止の大統領令に抗議する人がプラカード片手に押しかける写真を見て、昔読んだリーガルサスペンス(多分)のタイトルを思い出せそうで思い出せない。

 

よその国の司法システムなんてよくわからないけど、アメリカの最高裁判事には任期がないことだけは知っている。一度任命されたら終身在任、つまり死ぬまで最高裁判事でいられる。

 

思い出せそうで思い出せない小説では、高齢で意識さえ混濁しているような人がそれでも最高裁判事のままで、司法の機能不全を恐れる(あるいは怒る)人たちが、判事辞めろ(つまり死んでしまえということ)とデモを繰り広げていた。

 

大統領の任期は4年だけど、司法の最高決定機関である最高裁判事には任期がない。司法の牙城が崩れない限り、社会が根本から変わることはない。4年のあいだにつむじ風も吹きまくりできっと混乱するけれど、司法の方がもっと偉いんやで。。と、ぶん殴るシーンもあるのかもしれない。かもかも。

 

と、思ったら空席のままの9人目の最高裁判事は、今週中に現政権により指名予定だってさ。おぉコワ。つむじ風、ハリケーン並みになるね。

 

この程度のことは、キーワード放り込んで、パズルを解くみたいにたどっていけば、なんとなくわかる。

 

なぜ前政権中には、空席が埋まらなかったのか。キーワード放り込んだだけでは出てこない、そういう読み物が読みたいやね。でまぁそういうことを、目につくような場所にきっちり書いてるサイトや著者が、信頼に値するってことで。

 

終日頭痛が痛くて、往生した。鎮痛剤が効いてる間は何とかなるけど、明日は直ってるといいな。頭痛が痛くて集中力が続かないと、しょーもないことを考えてしまうから。

 

ニューオーリンズ・トライアル』もも一度見たいと思ってるんだけど、動画にはまだなってないのが惜しまれる。

 

お休みなさーい。

シューカツははるか遠く

就職戦線異状なし』は、織田裕二主演でバブルの残り香も濃厚な時代の就活を描いた映画。中山美穂織田裕二が共演してたドラマは『卒業』で、どちらも就活がテーマで記憶の中でごっちゃになってた。

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就職活動中の友人が『就職戦線異状なし』を観に行って、「全然参考にならんかった」と、ガッカリしてたことを、よく覚えてる。

 

今も昔も競争の激しい、マスコミへの就職を面白おかしくテーマにしたもの。普通の人の就活記や会社情報が、今ほど溢れてたわけでもない時代。少しでも就活に役立てばと見に行ったのに、バブルで景気がよくなろうがどうしようが、マスコミ就職だけは別格で険しい道だよ大変だよという内容だったそう(私は観てない)。

 

それなりに知名度のある大学進学のために、気が進まないまま地方から出てきた人。卒業後は、カッツーン!と叩けばいい音がしそうな、地元のお堅い就職先を選んでた。

 

すべての若者がキラキラをめざすわけでもないのに、厳しい競争を勝ち抜いた人たちは、自分たちは誰にとっても“憧れの存在”だと勘違いしがち。それ全然違うから。時にはパンダ可愛いやラッコ可愛いと、珍獣を愛でる気分で見てるだけ。

 

純度100%のサービス業だから、そもそもサービス業との相性が悪い人間は、そんな場所をめざしたりしない。

 

金回りがいいのは憧れ要素のひとつだけど、金回りがいいのは、マスコミ界隈には限らない。さらに言えば、金回りより可処分所得が多い生き方の方が、断然いいと考える人もいる。

 

その現実が見えてる人は、堅実な別の道を選ぶ。堅実な道が、未来永劫安泰な道だったのかどうかは知らね。神のみぞ知る。

 

同世代で自分よりも優秀な人が、安泰な道を選ばず何かを始めていたら、そっちの方が未来に近い可能性が大。

 

アホかかしこかで言えば、この子はアホやと思う人間の真似は、しないに限る。待ち受けてるのは、きっと難易度の高い人生だから。難易度の高い人生に対する耐性がないと、うまくいきっこない。

 

普通の人の就活記や会社情報が溢れるようになって、堅実な生き方への近道も、以前よりはずっとわかりやすくなっていいこっちゃ。

 

堅実な道を行きたい若者と、不実な道でも行かざるを得ない年寄りだったら、不実な道でも行かざるを得ない年寄りの方が、圧倒的に多いのが人口逆ピラミッド社会。

 

年寄りの口出しが多いと、それだけ堅実な道からも逸れてしまうので要注意さ。わしゃ違うと不実な年寄りに、その自覚がないのも困りもの。

 

何でこんなこと書こうと思ったのか、自分でも謎だわ。大体において、断絶が悪いってことにしておこう。

 

ドラマの『卒業』は、シューカツに揺れる三者三様の女心で、リメイクしたら現在にも通じる内容になりそう。昔のままだと、ちょっとモロモロ見るのは大変なんでリメイクで。

 

お休みなさーい。

ニコール・キッドマンが砂漠を行く、『アラビアの女王』見てきた

月の砂漠をはるばると~♪ ニコール・キッドマンが駱駝に乗って砂漠を行く。極論すれば、ただそれだけの映画とも言える、『アラビアの女王』を見てきた。サブタイトルの“愛と宿命の日々”で、察するべきだった。。

 

スクリーンに映し出されたタイトルのフォントが、まず昔の少女漫画っぽい。ヴェルサイユのバラ全盛期の、マーガレットコミックスみたいなんだ。

20世紀初頭、ひとりの女性が英国を旅立ち、アラビアの地へ向かおうとしていた。彼女は英国鉄鋼王の家庭に生まれ社交界デビュー、オックスフォード大学を卒業した才女ガートルード・ベル。

自由なトラベラーであり、考古学者であり、諜報員となったベルは、やがて“イラク建国の母”と称されるほどにアラビアの地に根付き、情熱を注いでいくのだった。

望んでも叶わない2度の悲恋、アラビアのロレンスとの出会い、度重なる困難―。それらが彼女のこころを嵐のように翻弄し大きな傷跡を残したとしても、約束の地こそが、彼女の大いなる生命の源となっていく―。やがて時代は大きなうねりとともに転換し、彼女はその渦の中心の存在となっていくのだった・・・。

(映画フライヤーより引用)

 あらすじ説明がもっともドラマチックって、どうなのよ。。


『アラビアの女王 愛と宿命の日々』予告

朝ドラでは二十歳そこそこの女優さんが、老け役まで演じるのに慣れ切ってしまっている今日この頃。1967年生まれでアラフィフのニコール・キッドマンが、大学を出たての二十歳そこそこのベル役を演じるところにもっともドキドキしたさ。いえ、お美しいのでいいんだけどね。

 

オペラ、例えば『ラ・ボエーム』だって、ドドーンとした女性が可憐なミミ役演じてたりするからな。それと一緒それと一緒それと一緒それと一緒とそれと一緒(以下略)と、心の中で10回くらい唱えたさ。

 

砂漠を楽しめる者は2つしかない。ベドウィンと神々だ。それ以外の者には灼熱地獄に過ぎん。

 という台詞が『アラビアのロレンス』にはありまして、ニコール・キッドマン演じるガートルード・ベルは、神々の系譜に連なる人。

 

水をめぐって殺人さえ起こる砂漠なのに、のんびりお風呂に入ってるような人なんだから、常軌を逸してる。そして、「あなたのためなら命もいりません」という忠実な下僕を従えてのベルの旅は、緑滴るイギリスのお屋敷も社交界にも飽いた彼女を楽しませる。

 

たゆたゆーん、と緊迫感なく砂漠を進むベルに、目標は後からついてくる。

 

廃墟をのぞけば文明の影も形も見えない砂漠、時折現れるオアシスは、ほとんどの文明人が目にすることも足を踏み入れることもない土地だから、そりゃ物珍しかろ。

 

アラビアのロレンス』が、特異な時代と特異な傑物を描いたものだとすれば、『アラビアの女王』は、特異な時代にあって、好きを貫いた変わり者のお話。

 

サイクス・ピコ協定にその悪名を残す、外交官サイクスにもベル、怒られまくり。

 

政府の制止もきかず、テロリストが横行する渡航禁止区域に平然と出入りする女性、しかも有力者の娘。「何か」あれば、それこそ自国の外交政策を左右しかねず、現地駐在官吏としては腹立たしい存在なのに、「私そんなの知らなーい」と、どこ吹く風で勝手きまま。

 

自重しないベルだからこそ崇拝者が現れるのか、成就しなかった恋を二回ほど挟み込み、それがまた「神々の遊び」っぽさを濃厚に醸し出す。

 

砂漠を行く神様というより女神様だから、行く先々で歓待を受け、危害を加えられそうなサスペンスフルな場面も皆無。砂漠の民のみなさまは、どの部族も女神様には優しくて、いろーんなお話をベルに話して聞かせる。

 

男性優位なベドウィンの社会に、白人、それも輝くような金髪美女が降りたって、彼らと対等に話をするもんだから、大抵の族長の鼻の下も伸びまくり。

 

砂漠の民ベドウィンは、色々な部族から成り立っていて、氏族関係が複雑に入り組んでる。外部からはうかがい知れない氏族社会の抗争関係や、誰が有力者なのかといった情報こそ機密情報で、ベドウィン攻略、あるいはアラビア情勢の鍵。

 

自衛隊イラクに派遣された時も、現地情報、キーパーソンを把握するのに苦労したとかいうエピソードを読んだことがある。道先案内人を間違えたら、どこに連れていかれるかわかったもんじゃないのと一緒で、キーパーソンを間違えれば、間違った戦略を選ぶ羽目になる。

 

間諜という呼び名は仰々しいけれど、結果的にベルが“愛する人”にあてた手紙に書かれた細やかな情報が、イギリス政府にはお役立ち。ハニートラップという語を噛みしめたさ。

 

アラビアのロレンスもベルも、イギリス社交界の異端児。ともに考古学者ということもあって、意気投合してた。大義なき戦争で疲れ切る前のロレンスは、若々しくて野心もあり、野心が擦り切れおぞましい経験をした後の『アラビアのロレンス』との対比が悲しい。残酷だな、戦争は。

 

治外法権の衣をまとって紛争地帯を行くベルは、最終的にキングメーカーのような存在になる。

 

誰にも決められない、誰が決めても禍根を残すなら、いっそ神様に決めてもらおうとの思し召しか。砂漠という地と超自然とは相性よしで、科学は役に立たないんだ。

 

幾日も灼熱の砂漠を行くベルの、髪も肌もさしてダメージは受けず、最初から最後まで艶やかで美しいまま。超自然すぎて、その美容法の秘密が知りたいぐらい。

 

『フィツカラルド』で船が山を越える、仰天映画を撮ったヘルツォークも、老境に入ると丸くなるんだね。。

フィツカラルド Blu-ray
 

 ただニコール・キッドマンが美しい。砂漠という過酷な状況に身を置いていても美しく、美しいものしかもう見たくないとの意思表示かそれともか。

 

ヨルダン映画なんちゃらかんちゃらも制作に協力していて、砂漠も、砂漠の中のオアシスも、きれいねーと物珍しく見入った。

 

美しく物珍しい砂漠の景色、本来なら観光資源となって外貨をザックザク稼いでくれたものを、サイクスの二枚舌野郎めコンチクショウめ。という、アラブ世界のメッセージが込められてたような気がするのも、超自然か。

 

砂漠なのに、滝のように清らかな水が流れ、先史時代の石器が見つかる美しい場所、気軽に訪れることも叶わないのは、ただ残念さ。

 

生き急ぐ人にはまったくおすすめしないけど、たるたるーんとしたい人ならそれなりに楽しめる。

 

お休みなさーい。

インターミッション

大抵の人は政治活動より経済活動の方が好きで、経済活動を行っているとぶち当たる、“政治の壁”にぶつかってはじめて政治に目覚める。ところが給料でしばられている人間は、職場を変えれば、仕事でぶつかった政治の壁もヨユーで乗り越えられるので、政治の壁に縛られることもない。

 

結局政治の壁に悩まされ続けるのは、経営者。

 

経営の規模が大きければ、政治の壁を、小金を払ってロビー活動という名の経済活動で乗り越えることもできる。規模の拡大をめざせば、政治の壁も容易に乗り越えられるようになって、従業員に見切りをつけられることもない。

 

規模の拡大をめざすのは、LOVE資本主義というより、政治の壁から自由になるため。

 

トランプさんとサンダースさん。目指すところは真逆に見えて、票田とするクラスタが被ってくるのはそういうことで、大抵の人は経済活動の方が好きだから、経済的に豊かなにおいが濃厚な方へと票が流れるのももっともなこと。

 

規模の拡大をめざさず、政治の壁を乗り越えられる方法が見つかれば、そりゃそっちへ乗り換えるさ。

 

ということを、『アラビアのロレンス』を見ながら考えた。ピーター・オトゥール主演のふっるーい映画。ついでになっがーい。3時間47分もある。

 3時間47分もある長い映画、映画館で見た昔の人は、どんだけ辛抱強かったんだ。。と尊敬しそうになったら、ちゃんとインターミッションという名の「幕間」があった。

 

「Intermission」という文字とともに、突然画面が真っ暗に。画面が真っ暗のあいだにもテーマ曲は流れ続け、その間にお茶とケーキを用意した。

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(おいしくいただける期間である賞味期限を5日ほど過ぎたフロマージュ・ブランで作ったいちご入りクラフティ。お腹痛くならないか、ドキドキしてる。でも美味しい)

 

歌舞伎でお弁当を使うほど、長さのある幕間ではないけれど、まぁひと休みにはなる。

 

歴史的決着がついた出来事ではなくて、現在にいたっても紛争の火薬庫だから、うかつにエンタメにもできないのがアラブ世界。

 

戦争は最高のコンテンツで、エンタメネタの宝庫だけれど、エンタメにできるのは「決着」がついたものだけ。ナチスドイツネタがいつまでもコンテンツとして使われ続けるのは、白黒はっきり決着がつき、ある意味安心して使えるから。

 

結局現在までくすぶり続け、未来永劫禍根を残すことになる歴史の転換点に立ち会い、その一因となった戦争で英雄と呼ばれた、「どこにも身の置きどころ」のない人物が、アラビアのロレンス

 

数か国語に堪能で、博覧強記で教養ある人物ほど、自身が是とする教養を裏切る結果にメンタルやられるんだろうな。。

 

昔から、「無人島に持って行く本」リストを考えるのが好きで、持って行くなら古典と決めている。プルタルコスの『英雄伝』、カエサルの『ガリア戦記』などなど。なにしろ長いから、退屈しのぎにもってこい。

 

ついでに何千年も前に死んでしまった人の考えに、触れられるところがいい。

 

無人島に行く羽目になったことはなく、行く機会もなさげなので、多分読破することもなさそうなんだけど。アラビアのロレンスことT.E.ロレンスも『知恵の七柱』という著書を残していて、それは無人島に行くまでもなく読んでみたいとちょっと思った。

知恵の七柱 (1) (東洋文庫 (152))

知恵の七柱 (1) (東洋文庫 (152))

 

 過酷な当時の状況、望まない結果を、ロレンス自身はどのように振り返って消化してるのか。彼自身のことばだったら、読んでみたい。

 

お休みなさーい。