クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

稼ぐことにしか興味がない国だから滅ぼされた『ある通商国家の興亡 カルタゴの遺書』読んだ

ハンニバル“といえば一般的にはハンニバル・レクターハンニバル・ザ・カニバルの方が有名だけど、カルタゴの名将ハンニバル将軍の方が断然好き。象を率いてアルプスを越え、イタリアにまで攻め入ってローマを震撼させた人。ちなみに、紀元前のお話。

 

すべての道はローマに通ずで、地中海世界を制したローマが目の敵にし、100年3度に渡るポエニ戦争で、徹底的に叩き潰された国がカルタゴ

 

なぜカルタゴは、滅ぼされたのか?

 

稼ぐこと、海上交易で財を築くことにしか興味がなく、国家や都市運営にも無関心。稼ぐことそのものが生き甲斐で、稼いだお金を文化・芸術振興といった娯楽に使うこともせず、稼ぐためならかたりや騙しも良しとする。そのすべての態度がローマに嫌われ、一度ならず三度まで滅ぼされた。懲りないから。

 

カルタゴの盛衰からは、生き残って歴史に名を残す国と、そうでない国との違いがくっきり立ち上ってくる。

 

『ある通商国家の興亡 カルタゴの遺書』は、当時のカルタゴを日本になぞらえ、ギリシャ・ローマをそれぞれヨーロッパ・アメリカに見立て、日本の将来に警鐘を鳴らした本。

 著者は、ジャーナリストを経て評論家となった森本哲郎氏。解説は政治経済学者の高坂正堯氏で、どちらもとっても著名でマスメディアで活躍された、すでに故人。今でいう池上彰さんっぽいポジション。

 

刊行されたのも、1989年ととっても古いけれど、「稼ぐことそのものにしか興味がない態度とその富が嫌われ、大国に滅ぼされた」という構図は、現代でも通じる。

 

経済大国が、軍事国家に嫌われ滅ぼされる、あるいは目の敵にされるという構図は、現代なら国家を凌ぐ巨大企業に置き換えたら、わかりやすい。

 

経済的支配力を強める巨大IT企業は、弱小国家を凌ぐ富や財力に恵まれているけれど、国家や都市の統治に関与することはない。(厳密には、何らかの社会貢献活動を通じて関与してはいるんだけどさ。。)けれども経済的支配力を背景に、彼らの領土は広がるばかり。羨望や嫉妬、そして恐怖心から電脳空間にも国境を引こうとする国を、軍事大国ローマに重ね合わせると、より味わい深くなる。もちろんこれは、勝手な見方です。

 

あるいはもっと卑近な例として、ワーカーホリックで稼ぎまくってるくせに、生活は地味で質素で、稼いだお金を世間に還元しない。ついでに稼ぐことにしか興味がないから、地域活動や、何らかの社会的活動には時間も割かない。

 

こんな人が居れば、周囲からよくは思われないでしょう。富を誇示するなら、まだわかる。稼いだものをカタチあるもの、例えば贅を凝らした建築物や乗り物、文化芸術振興に注ぎ込むなら、まだわかりやすい。

 

カルタゴの場合、カタチに残るものとして愛したのは、財そのもの。得た富を別のものに変えようとせず、そのまま貯めこんだから嫌われた。という論調で、この本は進む。

 

1989年といえば、ジャパンアズナンバーワンで、日本経済の鼻息も荒かった頃。その頃の日本の大雑把な国際イメージは、やっぱりエコノミックアニマル。

 

その当時のエンタメ作品を漁れば、札束で頬ぶっ叩くような品性に欠ける振る舞いで顰蹙を買う日本人の姿も、サルベージできるかも。

 

大抵の争いごとには経済的要因、お金が絡んでいるものだから、富しか誇るものがなければ、富に足元を掬われる。

 

歴史に学ぶビジネス書的な読み物だから、

最も得意とするところが、すぐに「ねらい打ち」され、必然的に「弱点」となる(本文より引用)

 と、説いてもいる。

 

ものすごーく大雑把に言えば、新興国家や企業は得てして即物的で、すぐにお金には変わらない換金性が低いもの、例えば芸術などには得てして関心が薄い。あるいは優先順位が低い。

 

娯楽を軽視し、商人道を突き進んだカルタゴという国の有り様は、調和に欠けている。ギリシャのように調和を重視して、余暇に楽しみを見いだせるよう成熟しなければ、破滅が待っているぞという示唆が、どれだけ発刊当時の日本人の皆様の心に響いたのか。

 

今の日本は経済だけの国ではなく、スポーツでも音楽でも芸術でもエンタメでも美食の分野でも、秀でた人材を輩出している。発刊当時からは、国としても成熟したと言えるんじゃないか。

 

日本の最も得意とするものについて、道行く人にアンケート取ったらきっとその答えはバラバラ。日本を代表する大都市、東京の得意とするものについても、きっと答えはバラバラで、多様性に富んでいる。

 

主語を次第に小さくしていって、都道府県別、あるいは市区町村別にまで分解していくと、やっと得意とするものが無個性になる。

 

市区町村別に分解してもなお際立つ個性があるのなら、その個性が弱点となり、近隣に模倣犯が現れた時点で無効となる。

 

カルタゴは海上交易を得意とし、操船技術にも優れていたけれど、海軍を失えば翼をもがれたも同然で、どうしようもなかった。歴史に名を残す傑出した個人、ハンニバル将軍を擁してはいても、ローマという大軍に敗れ去った。

 

7割くらいは、100年3度に渡るポエニ戦争の記述に費やされているので、本来は複雑なポエニ戦争の概略を知るのにちょうどいい。

 

塩野七生の『ローマ人の物語』では、文庫本3冊分もあるのがポエニ戦争スキピオ将軍vsハンニバル将軍に大カトーと、役者も多くて見どころも多いBC世界の大イベントなのに、知名度は低くてなんだかな。映画にくらいなっててもよさそうだけど、“象でアルプスを越える”というインパクトある絵面を、実写でやるにはハードル高すぎるんだろう。。

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 (画像検索から見つけただけ。アルプスを超えてるのかは、謎)

 『新世界紀行』というかつてあってテレビ番組では、“象でアルプスを越える”というインパクトある絵面を再現したそうで、資金が潤沢だった頃のテレビは、やることもスケールがでかい。

 

得意とするものが狙い撃ちされたら弱点になってしまう例は、都市国家に限ったことではないようでした。

 

本来は複雑なものを、思いっきり簡素化した“見立て“に沿って俯瞰することの危うさも感じるけれど、とっかかりとしては、文体含めてとっても読みやすくて面白い文明論だった。

 

世界史は陸の国に対する海の国のたたかい、海の国に対する陸の国のたたかいの歴史である(本文より引用)

 とはいえ巨大な鯨・リヴァイアサンと、雄牛あるいは象の形をしたビヒモスとに見立て、世界を二分して見るという見立ては、示唆に富んでいて楽しい。

 

余暇、暇とはつまり平和なことで、平和に耐え抜くことができなかったためしがないから信用できないと、ハンニバルからの講和を退けるスキピオの言葉を含め、すべてはローマという戦勝国から見た歴史書を元にしている。

 

戦勝国から見た歴史だから、カルタゴ人の性格など歪んで伝えられている部分もきっとある。とはいえ戦争に勝ったからといって、ますます奢侈に溺れるようなことがなかった(大カトーが阻止した)からの、ローマの隆盛と思えば納得。

 

戦争を通じてしか学べないことは、暇に飽かせて先人の知恵から学ぶに越したことはない。

 

アフリカ象は従順ではないので、インド象でアルプスを越えたらしい。象を戦場に駆り出すのはアレクサンドロス大王の東征以来の伝統で、権威を示す意味しかなく、“象は賢すぎる”から無駄な戦いはしないらしく、大した戦力にはならなかったとか。

 

古典のエッセンスにたまーに触れると、無駄な知識が増えて、豊かになった気分が味わえる。ヘレニズム文化に耽溺するには、実用的なものに興味があり過ぎるから。

 

お休みなさーい。