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クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ギャツビーが初めていい奴だと思えた、ディカプリオ版『華麗なるギャツビー』見た

アメリカで最も多く映画化されている、スコット・フィッツジェラルド原作の『華麗なるギャツビー』見た。ディカプリオ主演バージョンで5回目の映画化だとか。アメリカ人にとっての『細雪』みたいなものか。

 生涯非婚率が上昇を続け、恋愛あるいは結婚できない・しない人が増えている今見ると、ディカプリオ版ギャツビーに共感できるところ大かも。

 

小説も何度か読み、ロバート・レッドフォード版の映画も見たけど、今回初めてギャツビーがいい奴だと思えた。

 

たいへん有名な作品だけど、内容はこんな感じ

宮殿のような豪邸に暮らす、謎めいた男がいる。彼の名は、ジェイ・ギャツビー。どこから来たのか?どうやって大富豪になったのか?仕事は何をしているのか?いったい何のために、毎夜のように豪華絢爛なパーティを開くのか?誰一人その答えを知らない。果たして、彼が人生のすべてをかけた<秘密>とは?

Amazonビデオ内容紹介より引用)

 謎の男ギャツビーを演じるのがディカプリオ。作品全体の語り手は、ギャツビーの大豪邸に隣接する普通の家に暮らす、青年ニック。ニックとは親戚関係にある女性デイジーと、その夫である傲慢な大金持ちのトムが、主要な登場人物。

 

名作と誉れ高い作品ながら、小説も過去の映画も(つっても一作品しか観てないんだけどさ。。)ちっともピンとこなかった。ぶっちゃけ面白いとは思えなかった。タイトルに個人名、しかも偉大なんて形容詞で修飾されながら、ギャツビーがちっとも魅力的に見えなかったから。

 

グレートとついたリング名を持つプロレスラーが、ちっともグレートじゃなかったら詐欺じゃん。

 

今回ディカプリオが演じることと、現代人が見てもわかりやすいよう、彼の善性や善き面にスポットをあてたストーリーに脚色することで、ギャツビーの偉大さもわかりやすくなってた。

 

彼がお金持ちになろうとした理由は、ひとりの女性のため。パーティーピーポーそのままの乱痴気騒ぎも、すべてひとりの女性をおびき出すため。

もともと上昇志向の強い青年が、自分とは対極の立場にある良家の子女であるデイジーと恋に落ち、人生の目標を手に入れる。成功のための階段を最短で駆け抜けたのも、すべてはデイジーを手に入れるため。

 

ところがデイジーは、ギャツビーの成功を待てずに大富豪のトムと結婚する。

 

しかし、そこで諦めないのがギャツビーのすごい、もとい常軌を逸したところ。ストーカー気質なんですわ、ギャツビー。大恐慌以前の1920年代のアメリカでは、大金持ちのデイジーは、セレブタレントのようなもの。タレントのようなものだから、新聞や雑誌の社交欄でも記事として取り上げられてる。そして、デイジーに関連するすべての記事をスクラップしているのが、ギャツビー。

 

キモッ、コワッとドン引きしそうなところ、デイジーがそうならないのは、この二人はもともと恋人だったから。

 

戦争がなければ。戦場からもっと早くギャツビーが帰還することができていれば、デイジーだってトムと結婚することはなかったのかもしれない。

 

ディカプリオ版のデイジーは、ひなぎくのように可憐でイノセントで、「かもしれない」と思わせる雰囲気たっぷり。原作だとデイジーは、もっとビッチ。ってか、結構エキセントリックで面倒なタイプだったんだけど、イノセントで可憐ってことにしておくと、ディカプリオの執着も、説明がつきやすい。

 

なぜディカプリオ、もといギャツビーは、デイジーにそこまで惚れてるのか、執着しているのか。そこに共感できるか否かできっと、作品の見方も変わる。

 

もとは富豪でも何でもないギャツビーは、有言実行の勤勉なタイプでアメリカンドリームな成功を手に入れた人で、多分コンプレックスにまみれてる。

 

デイジーと出会ったときのギャツビーは、単なる兵士。単なる兵士に過ぎない、まだ何者でもないギャツビーの好意に、好意で応えたのがデイジーで、何者でもなかった自分に与えてくれた無償の好意や愛情を、後生大事にしているのがギャツビーという人なんだ。

 

で、この「まだ何者でもなかった自分に与えてくれた好意や愛情」に勝るものを、なにがしかの成功を納めて何者かになった後に手にするのは、案外むずかしい。

 

コンプレックスにまみれていた人ほど人の気持ちにも敏感で、成功後にすり寄ってくる人が素直に信じられなくなる。特に成功への階段を一気に駆け上がった人ほど敵も多くて、後ろ暗いところも抱えているから、他人と親密になるのが難しくなり、昔の美しい思い出に執着するようになる。ギャツビー、見事にこのタイプ。

 

恋愛できない・してない、あるいは結婚できない・してない人にだって、「あの時ああしておけば」の思い出くらいはありそうなもの。

 

結婚あるいは恋愛適齢期に、容姿や性格・出自あるいは収入など、なにがしかのコンプレックスが引け目となって一歩を踏み出せず、そのままになった。そして、コンプレックスを払拭するような成功を手にして自信が持てた時には、立場やお金目当てではないかと相手が信じられずにやっぱり一歩が踏み出せない。

 

遊び相手ではなく、配偶者やパートナーとして見た時に、「お買い得」と思える誠実で実直な人に相手がいないのは、案外このパターンがあるんじゃないかと邪推してる。

 

最短距離で成功への道を選べば、多少どころか大いに“清濁併せのむ“機会にも恵まれて、場合によっては大いに感化もされる。実利を選ぶようになれればいいものを、清濁併せのむ自分に嫌悪も抱くような潔癖な面を失わずにいると、いつまでも連綿と”過去の美しい思い出”に執着するようになる。

 

ギャツビーは、デイジーやデイジーと関係する人の前では、紳士面を崩さない。結構危ない橋を渡ってる人なのに、そんな素振りはちっとも見せない。

 

その実態に合わせて露悪的に振る舞うことなく、紳士的な態度をあくまで崩さない人は、本心では自分の職業や過去を恥じている可能性が大いにある。

 

ギャツビーは、デイジーの前でただ一度だけ激情をむき出しにして、デイジーを怯えさせる。ふだんデイジーの前で見せている、とろけるように優しい姿とはまったく別の野性的な一面は、デイジーが生きる世界とギャツビーが生きる世界の違いを浮き彫りにする。

 

トムだって怒鳴り散らすんだけど、トムは命令「だけ」する人で、ギャツビーは自ら手を汚してきたような人だから、やっぱり世界が違う。

 

富も名声も悪評も、すべてを手に入れたようでもたった一人の女性を手に入れることはできず、にもかかわらずに人生のすべてを彼女に捧げてしまうギャツビー。

 

喜劇的で悲劇的。

 

有言実行かつ勤勉さで成功をつかむような、ひと一倍克己心の強い男性が、昔の恋人のためには暴走を抑えられないあたり、人体の不思議がつまってる。見ようによってはピエロで、ピエロになるために彼は努力を積み上げてきたわけじゃないだろうと、人の世の虚しさもバッチリ感じられる。

 

映画のセリフとはちょっと違うけど、「あんたには、あいつらをみんないっしょにしただけの価値がある」とのニックのセリフは、すべてを見ていた人だから出た言葉。

 

立派な人なのに、トム「も」愛してたと正直に言ってしまう、イノセントに過ぎるデイジーの、どこまでいってもイノセントなところがギャツビーには手の届かないほど対極にありすぎて、殉じちゃったんだな。。

 

ギャツビーは、自分の気持ちに正直に生きた人。他者の目から見たら滑稽でもありお馬鹿さんでもあるんだけど、色んなものを偽ってでも自分の気持ちには正直に生きる、難易度の高い人生を送ってる。

 

デイジーの夫であるトムの浮気とか、上流階級に踏みつけにされる下層の人とか。『華麗なるギャツビー』には他にも見どころがいっぱいで、ツッコミどころが多いのは名作の証を証明してる。

 

旧作との違いや小説との違いとか、言い出すとキリがないから、ギャツビーにだけフォーカスした。長文書くリハビリがわり。

 

お休みなさーい。

グレート・ギャツビー (新潮文庫)

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グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

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