クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

とある人への個人的なメッセージ

怖がってるんじゃなくて、イヤがっている。さらに言えば心底嫌ってる。心底嫌ってるもののためには指いっぽん動かす気になれず、だから指いっぽん動かさない。

 

泥にまみれた地面に這いつくばって使えそうなものを探し、洗えばきれいになるもの見つけたおかげで晩ご飯のおかずが一品増えた。そのためなら喜んでロンダリングに参加する、見境のない人たちには事欠かないんだから、困りもしないでしょ。

 

業務に必要であれば、昼休みでも時間外でも自主的にお勉強して、上長や上司から「最初からがんばり過ぎなくていいですよ」と言われてきた、わりと真面目な質。

 

なのに自分のなかのどこを探しても、習熟しようという気持ちがさっぱり湧いてこないのは、その気がまったくないから。好きになれないから。好きになれないもののために労力を割く気はさらさらない。やりたい人がやればいい。

 

そりゃそうだ。最初から「楽しい」しかめざしてなかったんだから。上手くなりたい、習熟したいという気持ちよりも、楽しさを込められたかどうかの方を大事にしてるし大事にしてきたんだから。

 

他人から下手くそと言われようと気にしてない。上手い下手の問題でもないから。何から何まで噛み合ってないんだから、どこまでいっても混ざりようがない。

 

どうしようもない出来事がなぜだめなのかというと、非生産的だから。どうしようもないことからは何も生まれない。生産性ゼロかあるいはマイナスだから、どうしようもないことはしょうもない。

 

面白きこともなき世を面白くするのは、そのための対価や報酬を得ている人がやることで、私のすることじゃない。知ったこっちゃない。

 

大金もいらない。不要なものを運んでくる友人もいらない。

 

熱狂に感染したくなかったら、熱狂を運んでくる感染源を、あらかじめ断ち切っておけばいいだけ。10人中8人が知っていることは、敢えて自分が知る必要もないこと。知らなくても恥じゃない。自分を豊かにするわけでもない世界のあれやそれ、すべては関係ない。

 

「あなた」や「あなたたち」が、どれほどすばらしい世界や未来を築こうと、「あなた」や「あなたたち」が作るかぎり私にはいらない。うすぎたないと罵れば即座に報復に出るその器の小ささや、オドロカシで操ろうとするそのやり口もみな、気に入らない。

 

とはいうものの。不法行為上等でやったもん勝ちな行動力のある人が、世の中で大手を振っているもまたよくあることなので。彼らが作るものを注視して、その真逆をめざせば自分の中の快適な世界は守られる。

 

位置的な意味でも心理的な意味でも。今いる場所にしばりつけられて移動の自由を奪われた人は、どこにでも行ける人の足を最大限引っ張りに来る。ご苦労様なことで。

 

報われないまま惨めな生きざまと生き恥を晒し、そのあげくに掴んだ成功こそ尊いなんて考えは、前近代的すぎる。ファストファッションユニクロに行けば、今どきシルクだって安く手に入る。ファッションは生鮮食品なみに鮮度が落ちるのが早く、生鮮食品と違って腐りもしないから、ボロを着ようとする方が難しいのが今どき。

 

成功しなけばすべての努力が無駄になって死にたくなるような、特異な生き方を選べば極端な生活が待っているけれど、特異な生き方を選ばなければ、どうということもない。

 

楽しいを積み上げてさえいれば、あとから振り返った時に残るのも、楽しさだけ。あてが外れて残念だったね。

 

お休みなさーい。