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クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

スローな報道が最高の復讐になる『スポットライト 世紀のスクープ』見てきた

2016年のアカデミー作品賞受賞作、『スポットライト 世紀のスクープ』見てきた。

(ネタバレはしてないけど内容には触れてるので、興味のある方だけどうぞ)

 

知る人ぞ知るだった闇。長年見過ごされてきたのは、相手が何世紀にもわたって権力を握ってきた巨大組織だから。いちローカル新聞社がグローバルな巨大組織を相手にどう渡り合ったのか。そこに興味があって見てきた。

2002年1月、米国の新聞ボストン・グローブが、カトリック教会の信じがたい実態を報じた。数十人もの神父による児童への性的虐待を、教会が組織ぐるみで隠微してきた衝撃のスキャンダル。その許されざる罪は、なぜ長年黙殺されたのか。≪スポットライト≫という名の特集記事を担当する記者たちは、いかにして教会というタブーに切り込み、暗闇の中の真実を探り当てたのだろうか。(映画フライヤーより引用)

 聖職者が犯した罪の大きさと、犯罪に加担した人の数の多さとワールドワイドさに、まずは呆れかえった。


映画『スポットライト 世紀のスクープ』予告編

想像してたよりずっと地味な映画。驚きの奇策やトリックを用いたわけでも、スーパースターがいたわけでもない。ただ地味に誠実に淡々と、被害者の声を集め続け、証拠を集め続けてシステムを揺るがした。勝因は“時間”。

 

時間をかけて調査すれば明らかになることも、大抵の報道機関にはその時間がない。他の報道機関には許されなかった、調査に没頭できる“環境“の勝利でもあった。調査に時間をかけられたから、

・特ダネやスクープといった短期的利益に流されことなく、巨大権力を揺るがすもっと大きな成果をもぎとった。

・特ダネやスクープといった短期的利益に流されことなく、巨大権力を揺るがすもっと大きな成果をもぎとった。

特ダネやスクープといった短期的利益に流されことなく、巨大権力を揺るがすもっと大きな成果をもぎとった。

 大事なことなんで、ほんとは10回くらい連呼したいところ、3回で我慢した。

聖職者による児童への性的虐待行為そのものは、知る人ぞ知る闇。ボストン・グローブでも、散発的に報道されていた。散発的に報道されてきた小ネタ・ゲーガン事件を、ピューリッツァー賞ものの大ネタへと育て上げたのは新任のバロン局長。マイアミから来た人で、ボストン生まれでボストン育ちのボストニアン多数のボストン・グローブ社では、異端の人。

よそ者にしか馬鹿なことはできないの、見本のようなプロフィールはどうぞ映画でご確認あそばせ。

 

一連の報道は、地元愛が強く、地元出身者が多数を占める新聞社だからこそできた偉業って気がしてならなかった。

 

取材あるいは調査の過程で、長年の友人とは利害が対立し、思うように協力が得られないこともあるけれど、最終的には何とかなっている。そこにはもちろん、ボストン・グローブの記事が大きく報道された時には、彼らの不利益になる計算もある。あるけれど、それ以上に大きいのは、利害対立者であっても結局は彼らもボストン市民だってこと。

 

自らは骨を埋めるつもりなんてサラサラない。ボストンの街を荒らすだけ荒らして知らんぷりで、巨大組織や権力者に守られどこかで同じことを続けているよそ者への怒り。観光客のマナーの悪さに怒るロコの人。みたいな構図で、地元マイルドヤンキー(インテリジェンスバージョンにアップデート済み)が知性を武器に、グローバル組織を理詰めで追い詰めていく。その過程は、地味なんだけどスリリング。スリリングだけど超地道。

 

ボストンは古都だけあって、街のいたるところに教会がある。日本で言えば、石を投げれば神社仏閣にあたる、京都みたいなところ。

 

街の景色としてすっかりお馴染みの教会。そこに犯罪者が潜伏し、大多数はその犯罪を見て見ぬふりしてたらおぞましい。どう考えても組織的犯罪だから。どういう相手をターゲットにすべきか。情報共有されてるところが最高に気持ち悪かった。これ絶対仲間うち、内輪で暴露し合ってるとしか思えなかったから。

 

さらに言えば、内輪で楽しむのがダメになったから、外部にまでターゲットを求めたとおぼしきエピソードもある。虐待者がかつては被虐待者っぽくて、限りなく闇が深い。内輪の倫理に縛られ犯罪だと理解できない聖職者側は、限りなく非知性的な小悪党。小悪党を飼わざるを得ない、組織がお気の毒。

 

目についたのは、ただの小物で小悪党。どれだけ小悪党がおぞましくても、小悪党を量産し続けるシステムにメスを入れない限り、被害は無くならない。

 

発端となった「ゲーガン事件」の問題神父は、明らかにひどいことをやっている。ひどいことをやっている個人への憎悪を煽れば瞬間風速は大きくなるけれど、そのやり方だとシステムは壊せない。個人の資質によるイレギュラー案件として組織から切り離され、システムは温存されるから。

 

善し悪しの問題から好悪を切り離し、組織的犯罪と立証するためには、証拠と証拠集めのための時間が必要。

 

小悪党を叩きたいという個人の正義心や功名心を、ぐっとこらえてシステムに打撃を与えるまで粘る。これも、時間と余裕がないとできないこと。

 

そして時間があったとしても、実は彼ら報道サイドはとても誠実な人たちで、誠実だから被害者の声が時には彼らを焦らせる。

 

信頼を裏切られた代償は大きくて、何年経とうが“そのこと”に触れるだけで泣き出してしまう被害者たち。証言できたサバイバーもいれば、証言できずに世を去った人もいる。問題を公表できずにいる間にも、被害は増え続けているとなれば、正義も暴走しそうになる。そこを、暴走させずに踏みとどまれた、チームの勝利でもあった。被害の拡大とのトレードオフだから、勝利の味は苦いんだけどね。

 

ボストン・グローブの協力者となったある弁護士は、被害者に個人として向き合ったばかりにクレイマー扱いされていた。被害者への思い入れが強いと、無策に対する正当な抗議であっても、他者には正義の暴走と映ってしまう。

 

功名心や正義感、あるいは被害者への憐憫を押さえて、機が熟すまで待つ。個人プレーだとフライングしがちだから、組織にしかできない闘い方を描いてた。

 

正しい方につけというカッコいい台詞があったけど、ところで正しさって何なんでしょうね。正しさを見極めるのは、とても難しい。

 

この映画のケースでの正しさは、不法行為を訴えたくても訴えられなかった人、あるいは訴えても取り合ってもらえなかった人たちに、声を上げさせたこと。エンディングでの鳴りやまないコールが、正しい方はこっちだよと教えていた。

 

自分の国、自分の街の恥をさらけだす強さは、風通しの良さにつながって、澱んだものを追い払ってくれる。

 

ジャーナリズムの主戦場もwebに映って、映画で描かれた世界は今や一種の理想郷。ニュースはネタとなって、一瞬で全世界に共有される。そんな状況の一方で、スローなメディアも育ってるとか。

 

・イギリスの雑誌『Delayed Gratification』は、3か月ごとに事象を掘り下げ“意味”を報道

・オランダでは政治イデオロギーではなく理想を追求する、年間購読料制の雑誌が誕生

と、スローなメディアが育ってるらしい。

 

理想の形がはっきりしてるなら、理想も追いかけやすくなる。『スポットライト 世紀のスクープ』が、今年の作品賞に選ばれた“意味”は、何年後に実を結ぶんですかね。楽しみにしてる。スタンドプレーに目を奪われるような派手さはないけれど、安心して暮らせる日常は、今日もどこかで誰かに守られてると思えてよかった。

www.newsweekjapan.jp

スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪

スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪

 

 お休みなさーい。