クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

粗食と暖衣飽食

結構どころか相当汚い勝ち方してんじゃん。

 

二枚舌に海賊もどきのアウトローとの協働、あげくにコレと目を付けた土地(あるいは国)の民をまずは薬漬けで腐らせ、骨抜きにしてから武力で圧倒したり。

 

サイクスピコ協定にバルフォア宣言アヘン戦争に古くはアルマダの海戦と。

 

大同小異で似たような行為にどこの国も手を染めていたとしても、悪しざまにあるいはことさら悪く言われるのは勝者の側。清く正しく美しかったから負けたかのように誤認させがちだけど、同じようにダーティな手段を用いてさえ勝てなかったら、相手の力量が上だった何よりの証拠で、そりゃ悔しいやね。

 

勝った方と負けた方。勝ち方よりもより気になるのは、その時点での民の数。

 

各々の時代の出生率がどれくらいのものか、見当もまったくつかないんだけど。死亡率も高かった時代だからすべてが成人になれるとは限らないにしても、一方は出生率も高く民の数も倍々で増えていて、他方は出生率も伸び悩んで民の数は高齢化あるいは減るばっかりだとしたら。

 

食わせなきゃならない民が倍々で増えていくばっかりな方は、何が何でも勝とうとするに決まってる。言ってみれば生存権がかかった戦いで、生存本能を剥き出しにする相手は手強い。 

 

しかも食わせなきゃならない民が、一日三回の食事はコーラにハンバーガーあるいはおにぎりにお味噌汁だけ、みたいな粗食で我慢してくれるとは限らない。

 

数は増えていくばっかり、要求も高度になるばっかり。そんな民を抱えたしわ寄せがどこに行くかといえば民ではない方に向かい、食わせなきゃならない民のうちにも入ってなかったら、生存本能を剥き出しにすることにも躊躇がない。

 

大して体力も使わず、知力もいらない。ただ忍耐だけが試される。そんな状況だったら、一日3回の食事が粗食であっても、身体の方が先にダメになるということはない。

 

食わせなきゃならない人数が急激に増え過ぎたから、しばらく粗食を続けるね。

 

と、暖衣飽食とは無縁で上の方から率先垂範し、領土やその他を新たに獲得した時だけ瞬間的に食卓が豪華になる。にぎやかになった食卓がしばらく続くかと思えば、逆に領土やその他の何かを失うたびに、食卓も貧しくなっていく。そんな状態が当たり前だったら、いつだって戦意も旺盛。

 

手に入るものもあれば、失うものもある。

 

誰かの心を掴んで動かす人心掌握術は、どこまでいってもアメとムチ。大胆にアメとムチを振るえる方が断然有利で、アメとムチに鍛え上げられてきたら生きるか死ぬかの修羅場や鉄火場もヘーキになって、平気だから何度でも繰り返せる。

 

修羅場や鉄火場の先頭にいるのは、結局いつも同じメンツじゃん。

 

という集団に毎回ちょっとづつビギナーを混ぜ、ビギナーを混ぜつつ修羅場や鉄火場の越えかたをレクチャーしていくけれど、もっとも大事なことは同じ側に立たない限り教えないようにすると、常勝軍団ができあがる。

 

いつでも粗食に戻れて、暖衣飽食とも無縁で過ごせる。出発点がそこだったら、原点に戻ることなんて何てことない。

 

何があっても失脚とは無縁で、むしろ死にたくなっても生かされる。そういうポジションまで昇りつめちゃったら、原点に戻れることは逆にご褒美になって、個々の価値観の違いもあからさま。

 

価値観の異なる相手が、混ざることはない。