クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

へっぽこ

負の遺産を抱え込んだことがない。負の遺産を抱え込まずに強く大きくなってきた相手に無理やり負の遺産を押し付けると、負の遺産を抱えた相手との競争条件も対等になるんだけどさ。

 

そういうのはどっちかっていうまでもなく悪平等と呼ばれる奴で、不公平を広めて何してんのさ???と、嫌がられる。

 

さらにいえば、無理やり負の遺産を押し付けフラットやプラスの状態から故意にマイナスに転化させ、マイナスのままでいいのかプラスになるまで這い上がれ!とかけしかけるようになると、ますます感じ悪い。作為的な行為がなければ、プラスはプラスのままプラスを重ねるだけ。あるいは、フラットな状態がプラスになるだけだったんだからさ。

 

という状態で故意にプラスやフラットをマイナスに転じさせ、減ったプラス資産をそもそもマイナスだった側に付け替えマイナスの底上げをはかるのは、再配分っちゃ再配分なんだけどさ。

 

誰が、何のためにそんなことするのか。

 

という理由の方がはるかに重要で、無理やり引っぺがされたプラス資産を遠慮なく持っていくような側が、恒久的に同じような再配分を繰り返す確率は、ほぼほぼゼロパーセント。

 

そういう結果が見えてる相手は恒久的な再配分システムからは除外するに限り、再配分が繰り返せなくなった時点で、絵に描いた餅が出来上がる。再配分が可能になるから、餅を絵に描く意味もあったのにね。

 

描いた側と描かれた側。

 

距離が開くほどに、描く側からは罪の意識その他も薄れ、ただ上手に餅を絵に描く行為にも没頭できる。いくら上手に描けたところでしょせん絵に描いた餅だから、現実にはなーんも作用しないんだけどさ。

 

相手はすぐそこ、目の前にいる。という状態で対象をありのままに描くことは、描く側の心のありようもありのまま。描いた側が、描かれた側で描かれた対象そのものから離れ、作為的な行為の結果を直視し続けることに耐えられないのなら、その行為には罪があったことを自ら認めてるようなもの。

 

罰を下すことがお仕事な人は、罰を下す相手を常に探してる。そうじゃないと、お仕事もあがったりだから。筆が進まなくなった頃合を見透かして逃げ道を用意し、逃げればいいよという唆しに遠慮なく乗っかるような相手には、きっつい罰を与えたところで良心の痛みようもなし。

 

見てられないから、もう消してしまえ。という描いた側の心のありようが見透かされていると、消すと増えるになるのかも。

 

餅を絵に描くのは本当に上手なんだけど。その餅が食べられるものになった試し、いまだかつてなし。という場合もやっぱり、へっぽこ扱いでいいんだと思う。

 

1月も終わりになろうかという厳冬期なのに、雪少なし。たまーにドカッと降った雪もすぐに融け、すぐに融けるからいつもの厳冬期だとあるはずのない雪解けによる泥水も頻発してる。泥水をかぶらないよう注意しながら歩く厳冬期なんて、ほんと珍しいわ。