クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ひらがなで書けばみんな一緒なんだけどさ

昭和の子供だった頃、1980年代とかその辺。小学校の休み時間に、スピーカーで大音量で流されていた曲をふと思いついて歌詞を探してみたところ、偏見その他が多分に含まれていた。現代のコンプライアンス感覚では、NG。

 

その曲を、例えば学芸会か何かで子供たちが合唱するシチュエーションを想像すると、眩暈がする。偏見や卑語が存分に含まれた曲を、偏見や卑語をまだ知らない無邪気な子供が無邪気に歌う姿を、いったい誰が喜んでいたのか。偏見や卑語さえ次代に受け継がれたと知ってほくそ笑む誰かは、流言や風説にデマともきっと相性よし。

 

民謡や童謡に使われる謡は、うたとも読ませる。同じく「うた」と読ませる歌や唄との違いは楽器なし、つまり無伴奏でただ節だけをつけて歌ったものなんだってさ。

 

ただ節だけをつけて歌った謡には、流言・風説・噂という意味もあり、悪口やそしりでもあったんだとか。単なる悪口だったら話題にもならないけど、節をつけて面白おかしく謡えば、話題にもなって長く人の記憶にもとどまりやすい。

 

正史には残りにくい、偏見や卑語を次代に伝える知恵といえなくもないけれど、感じ悪い。それが、無邪気で判断能力に欠ける子供に謡わせたとなると、ますます感じ悪い。

 

ところで「唄」は仏の功徳をほめたたえるもので、「歌」は伴奏つきで歌ったものや鳥のさえずりという意味だそうで、以上はみんな漢語辞典を参考にしてる。

 

「歌」は、胸を打つが転じて歌となったという説もあり、胸を打つような感動から生まれたから、そこには悪口やそしりは含まれなかった。というのは、「謡」との違いがこれ以上ないほど明確で、感覚的にも納得しやすくてわかりやすい。

 

それは「歌」なのか「唄」なのか、「謡」なのか。

 

歌に似たもの。歌を長くすればお話ができるけれど、それは感動から生まれたものなのか、流言やデマを流すためのものなのか、それとも仏様をほめたたえるものなのか。

 

誰もが見抜けるわけではないから、ミスマッチが起こる。ほめたたえるつもりで手に取ったら悪口だった。あるいは、悪口を聞きたかったのに称賛しかなかったら。または感動したかったのに悪口か称賛でしかなかったら、それもやっぱり駄作。

 

ある人にとっては地獄に仏でも、その仏は別の誰かにとっては邪神扱いされることもある。道徳は変わり、かつては許されたものも許されなくなり、毀誉褒貶で評価が高かったものも時代を経ると変わる。

 

結局時代を超えて最後まで残るのは、胸を打つようなシンプルな感動から生まれたもの。という、胸を打つような感動を贔屓にしがちな人の結論。この仏をほめたたえておけば、便利に使えるんじゃないか?という計算が先立ったものは、興ざめもいいとこ。